『一兵卒の見た日露戦争 ー戦地からの軍事郵便ー』

『日本暗殺秘録』が、非常に長い映画で、1時半になってしまい、この学芸員レクチャーも同じ時刻から始まっているので、行くのを止そうかと思ったが、面白そうなので行く。

バスで武蔵中原から登戸に行き、会場の多摩区役所に着いた時は、残り45分くらいだった。
川崎市南河原の農家石井家に残されていた軍事郵便から見た日露戦争。
石井家の兄弟藤蔵と重孝は、1904年4月に召集されて品川から宇品に行き、旅順港から寮棟半島に上陸し、対ロシア戦争に従軍する。
遼陽や奉天の開戦に遭遇し、兄弟は別の軍団にいたが、戦場で再会し、無事二人とも傷は受けず、2年後の1909年2月に帰国できる。
その間に、家に宛てた手紙、葉書が説明された。
内容は、勿論各地の戦場の模様の概説だが、簡潔だが要を得た文章になっている。
兄藤蔵は長男だったが、この時期はすでに長男でも徴兵免除は撤廃されていたので、徴兵されたのだそうだ。
すべては、勿論家族に宛てたものだが、実際は村の人々にも、様々な機会で読まれたものだと私は思う。
なぜなら、この頃、男が徴兵されて、戦争という事件に参画しているというのは、今で言えば、郷土の人間がオリンピックに出て活躍したようなものだったと思う。
その意味では、郵便もメディアだったわけだ。
川崎市市民ミュージアム

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