ウィーンの観覧車はソ連製だった。

『追跡・第三の男』で、あの有名な観覧車は、当時のソ連占領地区(4カ国共同管理だった)にあり、戦災で壊れたのをソ連が修復したものだと言っていた。

15年前、仕事でウィーンの国連事務所に行ったとき乗ったが、「ひどく無骨で小さい」と思ったが、そうだったのだ。

第二次大戦後、戦勝国で唯一ソ連は自国の領土を拡張したが、それを平和的に返還したのは、オーストリーだけで、「それにはオーストリーの外交部が偉かったのだ」とガイドが言っていた。

確か、はじめは中立国という名目で「ワルシャワ条約機構」入りを阻止し、それから次第に西側よりになっていったと思う。
こうした外交の上手さは日本とは全くレベルが違う。

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