日本映画学会第12回大会

先週の土曜日は、大阪の豊中市の大阪大学で行われた日本映画学会第12回大会に参加した。

ここに来るのは2年ぶりだが、宝塚線の石橋から歩いて、30分近くもかかる広大なキャンパスである。

             

私は、今回出した『ゴジラは円谷英二である』を使って戦前、戦中、戦後の円谷作品の一部を上映して話した。

皆、その特撮のすごさ、実写との混合の上手さ等に驚いていたが、特に戦後の松竹映画の『君の名は』には非常に驚いたようだった。

京都大学の下梶さんの「メデイアミックスにおけるゲキ×シネの立脚点」 については、映画のメディアミックスは、サイレント時代からあったこと。サイレント時代、映画と同時に主役の台詞や主題歌等を編集したSP盤が出されていたことを言っておく。

この分野は、岡田則夫さんや保利透さんの専門だが、私も山田五十鈴主演映画のSP盤を持っている。

大阪府立大の藤谷さんの「映画祭の役割の変遷」については、この間の新人監督映画祭での経験を踏まえて、今や映画祭が映画の流通に大きな役割を果たしていることを説明した。

新潟大学の羽鳥隆英さんの「淡島千景資料」を使用しての五社協定下の俳優の動きは、非常に興味深い発表で、東宝の池部良、松竹の佐田啓二らが、会社を超えて俳優のつながりを作り出そうとしていたことが淡島千景さんの資料から実証された。

私もまったく同意で、戦後の独立プロ運動が、東宝を出た左翼独立プロから、1960年代の大島渚らの松竹脱退組のみで語られるのは不満で、いろいろな動きがあったことはもっと研究されるべきことだと思う。

昼食後は、小津安二郎についてが2本あり、相変わらずの小津人気の高さを知らされた。

京都大学の伊藤弘了さんは、小津作品の小道具や部屋の絵画等を手配していた北川靖記の役割についてのもので、小津の広い人脈が改めてよくわかった。

一橋大学の政清健介さんのは、『東京物語』における引き戸の音の処理についてで、大坂志郎の場面への入りの扱いが特別だったことが協調されていた。それは私の考えでは、小津は大坂志郎が嫌いで、そうしたのではないかと思った。

もし、小津が大坂が嫌いでなければ、原節子は次男の死の後、三男の大坂と結婚したはずだったからである。

戦後、男が戦争で死んだときは、その兄弟、多くは弟と再婚したものだったからである。それは、農家等では財産を家で保持するという意味も大きかったと思う。

京都大学の藤原征生さんの「芥川也寸志の映画音楽に於けるモチーフの流用」については、『たけくらべ』『赤穂浪士』『花のれん』等に同じメロディが使用されていることを実証したもので、優れた発表だった。

私の考えでは、芥川は、自己の戦争体験等から、時代に翻弄される人間の運命と言ったものに、あの『赤穂浪士』の良く知られたメロディーとムチの音を使ったのではないかと言っておいた。

シンポジウムでは「汚れ」の問題が、塚田幸光さんの司会の下、4人のパネリストからそれぞれの研究分野からの発表が行われた。

私は、優生学的問題について、かつてパシフィコ横浜で某国際会議を手伝った経験から、遺伝子研究の中にナチスドイツの人体構造に起因する優生学的研究がつい最近まで本当にやられていたことを報告しておく。

懇親会では、中国の映画研究者の李清楊さんと話したが、村上春樹が早稲田大学にいたとき、人形劇研究会にいて、9号館共闘会議にもいたことを話すが、初めて知ったとのことだった。

いろいろと有益な刺激をもらった一日だった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする