『夫婦善哉』が起こしたもう一つの結果

先日見た、豊田四郎監督の『夫婦善哉』だが、この年の1955年のキネマ旬報ベストテンでは、2位になっている。1位は成瀬巳喜雄の『浮雲』、黒澤明の『生き物の記録』が4位なので、まさに東宝スタジオの全盛時代だった。だが、これによって起きたもう一つの別のことがあった。

それは、東京映画の意味の変化である。

『浮雲』は、成瀬巳喜雄監督作品なので、無駄はなく予定通りにできたが、『夫婦善哉』は粘り屋の豊田四郎で、3か月も撮影にかかってしまった。いくら名作でも3か月間も東宝のスタジオの一つを占拠されては、当時の大量生産方式に支障をきたす。

そこで、東宝は目黒にあった元海軍大学校跡地にあった東日興業スタジオを再整備して東京映画撮影所にした(後に、千歳船橋の連合映画スタジオに移転する)。豊田四郎をはじめ、川島雄三、渋谷実らの名監督には、この別スタジオで心行くまでゆっくりと撮影させることにしたのである。

この東京映画には、後にもう一つ別の意味があった。

それは1954年の日活の製作再開で、5社協定が出来て、東宝でも他社のスターが使えなくなった。その時、この東京映画で、『駅前シリーズ』等の、他社のスターの伴淳三郎を使い、森繁久彌、フランキー堺らとの共演を可能にしたのである。また、東宝では製作できない低予算の作品も東京映画は担った。だが、そうした意味もなくなった1980年代以降、東京映画は閉鎖され、全作品は東宝に入れられたのである。因みに撮影所跡地は、某社の社宅になっているそうだ。

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コメント

  1. ぴくちゃあ より:

    >豊田四郎監督の『夫婦善哉』だが、この年の1950年のキネマ旬報ベストテン、

    単純ミスだと思いますが1955年ですね。

    東京映画の設立は、1952年で、設立当時の撮影所は紹介の通り、東京都品川区上大崎の海軍大学校跡地ですね。
    第1回作品は、豊田四郎監督の『春の囁き』(出演:三國連太郎、岡田茉莉子、久保明、青山京子)で、1952年12月10日に公開されています。

    よけいなおせっかいで申し訳ありません。

  2. ご指摘ありがとうございます。早速直しました。
    確かに、東京映画は1952年にできているのですが、当時は、大ストライキ直後で砧撮影所が製作不能になっていた時の、娯楽的な軽量な映画の製作に当てられていました。
    しかし、1950年代中頃の砧撮影所の体制が整って来ると、東京映画は豊田四郎、川島雄三ら「巨匠」のため、さらに『駅前シリーズ』のような他社のスターを迎える受け皿として、その存在意義が変化します。また、新人監督などのデビューの場等になっていきます。