ジョージアに行った横浜市職員

栃ノ心の優勝で、話題のジョージアだが、横浜市役所職員で、ジョージア(当時はグルジアだが)に行った方がいる。

総務局国際室担当課長の上野和夫さんと係長の田中兆洋さんで、1991年にパシフィコ横浜のオープニングイベントの一つで行われた「国連ピースメツセンジャー都市会議」への誘致のためだった。

グルジアの首都トビリシ市が、会員都市だったので、お二人が会議への参加誘致を呼びかけに行ったのである。旅程は大変だったようで、いつ聞いても驚くばかりの挿話だった。

この時、実は私も会員都市の誘致に、ローマ、フィレンツェ、ウィーン、マドリッド、リスボンの各都市に、当時横浜市ハンブルク駐在員の新井さんと一緒に廻ったのである。

そして分かったのは、この「国連ピースメンセンジャー都市会議」というのは、欧米の反ナチス・ドイツの、ユダヤ人の運動であり、ユダヤ人の怨念というものはすごいものだなと改めて思ったのである。

なぜ、トビリシ市がピースメンセンジャー都市なのかは知らないが、多分独ソ戦で、ソ連の勝利に貢献したというようなことがあったのだろうと思う。

ともかく、栃ノ心は、怪力である上に、若いころはサンボや柔道をやっていて、技も結構あるので、今後も活躍が大いに期待したい。13日目の、逸の城との対戦で、がっぷり組んでから勝ったのはすごかったと思う。この勝利で、優勝は決まったようなものだった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする