『日米戦争と戦後日本』 五百籏頭真(講談社学術文庫)

磯子図書館に行ったら偶然に本棚にあったので、借りてきた文庫本だが、大変に面白くて示唆に富む記述がある。

その一番は、戦前の日本について、「軍事は一点豪華主義だった」と言うところである。

明治維新の目標が、「富国強兵」だったのだから、まさに当然なのだが、あらためて再認識した。

明治から昭和20年の敗戦に至るまで、日本の国家予算で一番の部分は軍事であり、強兵のための教育だった。もっとも、戦前の日本は、江戸時代以来の「小さな政府」で、福祉などはほとんどなかったのだから軍事と国民教育が大きかったのも当然なのだが。

ネット・ウヨなどが二言目に言う、「ゼロ戦がどうした、紫電改がすごい」等も当然のことだったわけで、そこに重点的に国家予算から人材を投入していたのだから優れていたのである。今日では、アメリカとの経済力の比較がされるが、そうした経済力の基礎を除き、軍事分野のみで比較すれば、それなりのレベルにあったのである。

また、戦後で見ても、一昔前の造船、現在の自動車、電機と電子、さらにアニメ産業が世界的なのも、その淵源を辿れば、みな戦時中の軍需産業である。

戦後の占領軍の改革の内で一番大きなものは日本国憲法で、平和主義は天皇制維持とセットであったが、他に日本独自の改革もあった。

その大きなものは農地改革と労働組合法の制定で、これはもともと日本の官僚等が準備していたものが、「占領軍の改革に便乗」して実施されたものだそうだ。

エピソードで興味深いのは、1941年9月6日の御前会議の模様がアメリカに知られていたのは、東郷茂徳外務大臣から樺山愛輔氏を介して米大使のジョゼフ・グルーに伝えられたとのことだ。

グルー元大使が、日本の戦後に果たした役割は非常に大きく、天皇について「天皇は女王蜂であり、これがいなくなれば日本と言う巣はなくなる」との言葉は、マッカーサーをはじめ米国の認識を改めてたのであり、天皇制と平和憲法は戦後の基本となったのだと思うのだ。

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