『オットーと呼ばれる日本人』

先週にやったミュージカル『やし酒飲み』が、祝祭としての演劇なら、この『オットーと呼ばれる日本人』は、お勉強、教養としての演劇だろう。
従来、日本の新劇はほとんど、この教養としての劇だった。

木下順二作のこの劇は、太平洋戦争開戦直前に逮捕されたスパイ事件である「ゾルゲ事件」の中心人物であった尾崎秀美(オットー)を主人公とするものである。
大変有名で興味深い事件だったので、篠田正浩が『スパイ・ゾルゲ』で映画化した他、市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』シリーズにも、何回か同事件に取材したエピソードが出てくる。
尾崎は、朝日新聞の記者だったとき、女性ジャーナリストアグネス・スメドレーの紹介によって上海でリヒアルト・ゾルゲと会い共鳴し、コミンテルンのスパイだった彼らに情報を流すようになる。

東京に戻り、彼は中国問題の専門家として認められ、最後は近衛内閣の顧問となる。
近衛内閣の中心に入っていた彼は、ソ連に対する日本の戦争があるか否かについて重要で貴重な情報をゾルゲを通してソ連に流す。ドイツのソ連侵攻を知らせたこと、また日本の戦争が対ソ連ではなく、アメリカであることを通報したのは、ゾルゲスパイ団の、世界スパイ史上でも最も大きなの一つ成果だった。
社会主義国ソ連を守り、中国革命を成功させ、それによって日本も共産化させ、アジアに社会主義共同体(彼は東亜協同体と呼び、それは近衛内閣の政策にもなる)を作ることを夢見ていたからだ。

社会主義・ソ連が崩壊し、中国が「社会主義的市場経済」に転換する今日、尾崎らが死を持って殉じたことは無意味だったのか。
勿論、無意味ではない。
なぜなら歴史は、錯誤を通じてしか前進しないからである。

だが、この劇の精彩のなさには唖然としてしまう。
戦後、国賊として処刑された尾崎秀美が、実はソ連をナチスドイツの侵略から救い、中国革命を助けた英雄だと分かったとき、作者の木下順二はじめ同世代の方は、本当に驚いたと思う。
評論家菅井幸雄氏も、この作品が初演されたとき、オットー役の滝沢修は千両役者のようだった、とパンフに書いている。
だが、この劇の吉田栄作にオーラはあっただろうか。
到底感じられなかった。
何より、現在この劇を上演する意味を、演出の鵜山仁はともかく、主役の吉田栄作、紺野美佐子らが全く理解していなからだ。
恐らく、「コミンテルン」と言ったところで役者の誰が分かっているのだろうか。
役者は理解できないことは、表現できないのであり、役者が表現できないことは、観客には絶対に分からないのである。
役者では、沖縄出の画家宮城与徳役を演じた松田洋治が唯一面白かった。

さらに、尾崎秀美は人間としては大変魅力的だが、その意図や論理には、ある種の矛盾があり大変理解しにくいものなので、現在の上演では多くの注釈が必要である。
それをすべて役者の演技として消化し、表現させるのは、吉田のような無内容な役者には到底無理である。
だから、もし上演困難なこの作品をあえて上演するなら、ブレヒト的手法により、個々に作品の事項を解説するなどが必要だったのではないか、と思う。
原作をそのまま上演するのでは、作品の意味は到底理解されなかったと思う。
木下順二作品では、民話劇は別として、『風浪』が一番好きだ。
そこに描かれた明治期の青年群像の挫折は、その後の日本の青年すべての姿でもあったと思う。

終了後、バスで渋谷に出た後、さらに恵比寿に行く。
知人のライブのためだが、学生時代、さらに品川に住んでいた頃、よく行っていた恵比寿が全く変わっていたのに驚く。
静かな住宅街だったのが、六本木のような飲食街になっていた。

これは、尾崎らが夢想した大衆による世界、すなわち民主主義革命の成果の一つであると言わなくてはならないだろう。

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コメント

  1. drunkcat より:

    やし酒のみ
    せっかくご案内いただいたのに申し訳ない。
    コメントに気がつくのが遅すぎました。
    とにかくご成功のようでおめでとうございます!
    横浜方面へは時々出かけますのでまた何かあったらお知らせ下さい、よろしく!

  2. さすらい日乗 より:

    こっちも遅くて
    ご連絡が遅くなり恐縮でした。
    でも、演劇の制作の方が忙しくて、手が回りませんでした。
    今度、是非横浜で飲みましょう。