『ルル』は、貧困の中で富豪の新聞社社長(古谷一行)に拾われた少女ルル(秋山菜津子)が、その美貌からモデル、女優で有名になり、雑誌編集長、カメラマンと結婚するが、男たちは皆死んでしまう。
ついに古谷とも結婚するが、様々な男関係から古谷と喧嘩して彼を射殺し、殺人犯となる。古谷の息子らの計画で脱獄し逃亡し、息子と結婚する。だが、追い詰められルルは街娼になる。最後は、切り裂きジャック(古谷の二役)によって刺殺される。
「運命の女」というこの種の話は多く、有島武郎の小説『或る女』もそうで、京マチ子の主演で映画化されており、今年2月にフィルム・センターで見たことは、このブログにも書いた。
映画で言えば溝口健二監督、田中絹代主演の『西鶴一代女』が典型で、最後は夜鷹だったが殺されはせず、巡礼の旅に出る。
この劇は、全体としてそう悪いできではないが、二・三疑問もある。
こうした男を渡り歩く女を描くことは、原作が書かれた20世紀初頭から1970年代くらいまでは、大きな意味があったと思うが、今や「自由恋愛以外に愛はあるの」という日本で「自由な女」を描くことに意味があるのか、が第一である。
性愛劇を世田谷パブリツク・シアターや北九州芸術劇場のような公共施設が作る描のは、少々問題なのか、幕の間を、言い訳のように下手なダンス・パフォーマンスを挿入するのは、著しく劇の盛り上がりを削いでいた。溝口の『西鶴一代女』のように一代もの作品は、俗に「団子の串刺し」と言ってエピソードを羅列していくもので、構成が難しいのだが、映画なら流れを統御できるが、劇では無理。
さらに秋山菜津子は、いい女優だが、本質的にコケットリーがないので、この役は人(にん)ではなく、少々無理なのである。