冒頭、エルトン・ジョンの『君の歌は僕の歌』が流れ、織田祐二と和久井映見の幸せそうな情景が流れて、タイトルが終了。これでもう終わりじゃないか、と思う。曲が主役で、映像は付け足しのよう。
織田と和久井は、別れるのだそうだ。
できた理由も不明だが、別れる理由も分からない。
そして、最後まで彼らはセックスしたのか、どうかも分からなかった。多分していないのだろうが、だから駄目になったとも言える。
翌朝、通勤中の地下鉄の通路で織田は太地真央に衝突する。
地下道に散らばる様々な連中の顔写真。
そこに、なんと和久井のもある。
私はここで分かった。太地は天使、いや死神なのだ。落語の『死神』か。
大竹まこと等が死ぬ場面に太地がいて、とろい織田もやっと分かる。
そして、話は、7月7日に死ぬ運命の和久井を織田がどう助けるか、になる。
いろいろばかばかしい挿話がある。
そして、ニュー・ジーランドで死に掛けた和久井は生き返る。なぜニュー。ジーランドに行くかと言えば、時差なのだ。
天使の力で、和久井は助かる。
だが、その代わり織田と和久井は共に互いの記憶を失くすことに。
そして、東京で元の生活に戻った二人が偶然に、また骨董店の前で会う。
と、昔のように織田は和久井に近づくところでエンド。
これは、昔サルトルの脚本の映画『賭けはなされた』である。
もう一度、人生を生き直したが、結局同じ人生になると言う。
エルトン側に著作権料を払いすぎたのか、織田祐二、和久井映見、太地の三人でほとんどすべてが終始する。
他には、三木のり平、星由里子、川谷拓三らの質素な配役。
これは、芝居で見たら、ラスト・シーンなどは感激したと思う。
だが、映画としてみると感動は出来ない。
シナリオの長谷川康夫は、つかこうへいのところにいた劇作家なので、やはり芝居になってしまうのだろうか。
1992年の作品で、まだお台場のレインボー・ブリッジは建設中であった。
太地真央は、天使に見えるだろうか。私には見えなかった。