雨で、しかも寒いので、遠出せずに、まず医者に行き薬を貰った後、午後は野毛山の中央図書館に行き、地下のAVコーナーで記録映画を2本見る。
まずは、1942年の陸軍報道部制作の(実際は日映 日本映画社)『東洋の凱歌』
昭和16年12月8日のフィリピン攻撃で、特にバターン半島とコレヒドール島を陥落させた戦闘についての記録。
構成が、戦後は東宝、松竹等で多数のシナリオを書いた沢村勉だが、監督の熊谷久虎同様、この頃は相当に右翼がかっていたので、ひどい反米、フィリピン人軽蔑のナレーションが付いている。
彼に言わせれば、バターンで多数のアメリカ兵が武器もあるのに降伏したのは、精神がたるんでいて許せないそうで、「なぜ自決しない」と来る。
また、フィリピン人は、そうした米国人の悪辣な本性を知らず、無知ゆえに従っている遅れた原住民に見えるらしい。
最後、マニラを占領し、日本軍から、フィリピン軍、さらに各国の代表等がパレードするのは、勿論やらせだが迫力がある。
音楽も荘重な曲がずっと鳴っていて、オリジナルに作曲したものだろう。
もう一本は、展示してあったので見た『昭和の暮らし・シリーズ』第二巻の「灯火管制」と「防火消防」
どちらも日映新社が、昔の短編映画を再編集したもので、戦前に空襲に備えて灯火管制の方法を教えるものと、焼夷弾が落ちた時の消火法を解説するもの。
その後、実際の米軍のじゅうたん爆撃を見れば、灯火管制など意味はなく、また焼夷弾への消火など全くできず、ただ逃げるだけだった。
だが、昭和15年のこの頃はまだ、本気で空襲対策が有効と思っていたらしい。
真面目に無意味な方法を説くので、まるで喜劇だった。
最後、実際に家に火を付けて燃やす。
まず水を含んだ藁を被せ、そこにバケツリレーで水を掛け、最後は鎮火し、
「めでたしめでたし」と炊き出しのおにぎりを隣組一同で食べるのが、大いに笑えた。
企画は内務省で、いずれも東宝文化映画部が制作している。
前にも書いたように、戦前、戦中、東宝は軍や政府からの委託作品を多数作っていた。
多くは、敗戦直後に焼却処分したが、日映に移管した作品は残ったらしい。
本当は、もっとあったのだろう。極めて興味深い、もう一つの東宝の歴史である。