前に映画『スイング・ガールズ』のところでも書いたが、日本でジャズは本当に堕落した音楽になったようだ。と言うより、ジャズを聞く側の意識が堕落している。
この劇は、1950年代にジャズのコンボを作っていた双子の兄弟(山路和弘、羽場祐一)の話で、一方がジャズから足を洗い、ビジネスで成功する。1990年偶然、彼らのコンボの一員だった奴の子で、兄弟のジャズを止めなかった方と一緒に住んでいる若者(高橋和也)が知り合って、というものである。
アメリカでは、ジャズはエスタブリッシュメントが聞くものではないようだ。だが、日本ではジャズは今や第二クラシックである。劇場ロビーには、この公演にちなみ『ジャズ入門編のCD』まで売られていた。
かつてジャズは、日本でも不良の音楽だった。ジャズの語源がセックスを意味する黒人のスラングであることは、以前にも書いた。ロック、ジャイヴ、すべてセックスに関連した隠語である。日本のハクイやマブイもその類であろう。
1960年代、私が高校生のとき、ジャズの外タレ(外国から来たタレント)のコンサートに行くと、常にヤクザ風の人がいたものである。
新宿にあった「キーヨ」というジャズ喫茶などは、ヤクザの溜まり場で有名だったので、一切行かなかった。
これは、それ程つまらない劇ではなかったが、昔のジャズ・ファンとしては、なんとも複雑な気持ちで劇場を出たのである。演出の宮田慶子は青年座の演出家だが、ジャズをよく分かっていないように思えた。青年座はサブ・カルチャーに弱いので、こういう劇は無理なのだと思う。
高橋和也はよくやっているが、真中瞳は全く魅力のない女優だな。