『消えていくなら朝』

新国立劇場の宮田慶子芸術監督の最後の演出作品としては、やや物足りない気もするが、彼女の実力から言えば、この程度というべきだろうか。作は蓬莱竜太。

話は、海辺にある実家に、劇作家らしい次男の定男・鈴木浩介が帰省する。そこでは、父親・高橋長英が母・梅沢昌代と離婚しようとしているが、「彼女の宗教から離婚はできない」と言われる。

長男・山中宗や長女・高野志穂も来て、さらに定男は、若い女優の女性・吉野美紗を連れてきている。

そして明らかにされるのは、母の梅沢が、ある宗教に入っていて、長男と次男はそれに従わされて、集会等に出るほか、勧誘のための戸別訪問にも同行させられていたこと。キリスト教系の宗教らしく、エホバの証人だろうか。

まじめな長男は母の指示に従い、その団体で昇進し、そこの女性と結婚したが、外の女性と一夜だけ不倫したために除名されたこと。次男は、高校の頃から宗教活動を拒否し、自分でものを書く道を探して成功を収め、そのころの糟糠の妻とは、自分が作家として成功すると分かれて自由に生きていることなど。長女は、父親のペットとして生きてきたために男ができず、40代の今も独身でいることなど。

どうでもよい無駄話が多く、これは何だと思うが、梅沢昌代の演技には救われる。

かつては、東宝の青春スターの一人だった高橋長英が、高齢者を演じるのは時代を感じる。

この芝居で最高なのは、母親の梅沢昌代で、ことあるごとに

「この世は無意味だからヤウエを信じるしかないのよ・・・」と迫るのが大いに笑えた。

新国立劇場小ホール

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