『密会』 中平と増村の差

映画『密会』は、吉村昭の原作を中平康が脚本・監督した1959年の日活作品。
大学教授宮口精二の妻桂木洋子は、教え子の伊藤孝雄と愛し合っている。

冒頭、草むらでの二人のラブ・シーンを長回しで撮るが、ここは中平の技巧が冴えている。
そこで二人は、タクシー強盗の現場を目撃し、犯人の顔も見てしまう。
真面目な伊藤は、殺害された運転手が貧困家庭であったことから良心の呵責に耐えず、止める桂木を振り切って警察に証言しに行くと言う。自分の家庭の破滅、スキャンダルを恐れた桂木は、駅のホームで伊藤を押し、入って来た電車に突き落として殺してしまう。
誰にも見られずに出来たと一目散に家に向かう桂木。
駅の上で工事をしていた電線工夫が目撃していて、追いかけて来た彼に桂木は、捕まってしまう。
ここで終わりと短編としては、ごく優れた作品になっている。
だが、今見てみると、ここには中平と増村の作家としての差異が明瞭に現れてい思う。

増村保造に、これと大変似た作品に『妻は告白する』がある。
そこでも、大学教授小沢栄太郎の若妻若尾文子は、年下のセールスマン川口浩に惚れている。それを知った小沢は、二人を登山に誘う。
その登山で、断崖絶壁から3人が滑落し、ロープで宙吊りになったとき、自分と恋人川口の命を救うため、若尾はロープを切って小沢を殺してしまう。
裁判で、若尾は殺人罪を追及されるが、弁護士根上淳の弁論もあり、正当防衛で無罪になる。
そして、若尾は、川口と一緒になろとするが、彼に拒否され、最後は彼の勤める会社のトイレで自殺してしまう。
これが、増村と中平の差である。
増村は、中平が終わったときから始まっている。
そして、増村で問題とされているのは、いかにして愛を信じ貫きとおすかであり、地位の破滅ではない。
多くの増村作品では、破滅しないような愛は、意味ある行為とはされていないのである。
それは、また中平は自分以外のスタッフ、キャストを信じていないのに対して、増村は若尾や川口の無軌道さを信じていることの差異があることでもある。
衛星劇場 懐かしシネマ

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