つねに刺激的な芝居を作るシス・カンパニーだが、このヤスミナ・レザの日本初演作品もきわめて刺激的な作品だった。
レザは、ペルシャとハンガリーの両親の下に生まれたユダヤ人とのこと。西欧社会を冷静に見る視点がある。
大竹しのぶと段田安則の家に、秋山菜津子と高橋克則夫妻が来ている。彼らの息子が、大竹らの息子を殴り負傷させたからである。弁護士の高橋は、手早く合意書の文案を作成する。
言わば、子供のケンカに親が出てきた構図で、初めは平穏に紳士的に見えた交渉は、次第に感情的になり、双方、さらに相互の夫婦生活を罵り合うまでに至ってしまう。そのエスカレートぶりの中で見せる、大竹の切れた演技はさすがにすごい。芸獣・大竹しのぶの面目躍如である。
大竹は、アフリカ問題の専門家でダルフール紛争についての著作もある。段田は、気弱ながら、自ら事業を営む男で、高橋の妻の秋山も投資家という全員がフランスの上流階級の人間である。
大竹をはじめ、4人の役者の演技は最上で、大変面白かった。だが、本来このジャーナリストの役は、大竹しのぶのものではないことが、今一つこの芝居をリアリティを欠くものにしていると私は思う。
本来、大竹が演じた役は、知的な文化人、ジャーナリストである。それが、わが子のためには切れて理不尽な結末に至るのが、この劇の面白さだと思う。
だが、大竹では初めから切れるのは日本の観客には十分に分かっている。
勿論、そこでの彼女の演技は素晴らしいの一語に尽きるが、本当はやはり違うのではないかと思った次第である。
同じ西欧社会での、夫婦、家族の崩壊を描いた劇に、エドワード・オルビーの『バージニア・ウルフなんか怖くない』があった。そして、オルビーの戯曲では、夫婦崩壊が特異な悲劇だったのに対して、ここではほとんど自明のことのように軽く描かれている。
それは、非西欧人であるヤスミナ・レザの西欧社会への冷徹な視点なのか、あるいは西欧社会での劇的な変化によるものなのだろうか。
新国立劇場 小ホール