ジュディ・オング

多分、ジュディ・オングを最初に見たのは、テレビの『グー・チョキ・パー』というバラエティのようなドラマだったと思う。
かなり変なドラマで、トークのような時間もあったと記憶している。
そこのジュディ・オングは、幼いくせに妙に色気のあるガキという感じだった。

その後、1960年代中頃は、日活にかなり出ている。
先日の『青春 ア・ゴーゴー』がそうだが、ひどく芸達者で、生意気な女の子であるが、彼女によく合った役柄である。
中では、1966年の『帰って来た狼』と『涙くんさよなら』が最上の作品だろう。
どちらも監督は西村昭五郎、脚本は、倉本聡である。

『帰って来た狼』は、デビュー作『競輪上人行状記』の悪評で3年干された西村昭五郎の監督復帰作で、湘南の被差別部落と金持ちの対立をテーマとする、かなりシリアスな映画だった。
『涙くんさよなら』は、混血児のジュディが、アメリカ人で父を失い、日本の母親を探してアメリカから来るもので、東京から京都に行くストリーだった。
中では、彼女を追いかける本郷純らテレビ局の「御前一家」の連中が面白かった。
この辺の感じは、蔵原惟繕の名作『憎いあンちくしょう』での長門裕之が演じた軽薄なテレビ局のディレクターとよく似ている。
DJ役で、湯川れい子さんも出ている。
その後、ジュディはスパイダーズ映画に出る。

ノートを見ると、蒲田パレス座で、太田雅子主演、若杉光夫監督の共産党的な貧乏映画『太陽が大好き』、古川卓巳監督のダサいアクション映画『散弾銃の嵐』の3本立てで見ているが、この西村昭五郎作品のみが、ましな映画だったと記憶している。
西村昭五郎も、正当に評価されていない監督で、日活ロマンポルノ史上最多作の監督であり、駄作はなかったと思うが、これと言う決定打もなかったようだ。意外にもホームランもないが、三振もないという監督は評価されないのだろうか。

さて、彼女のような女性を才色兼備と言うのだろうが、貧乏リアリズムを基調とする日本映画界では、ジュディ・オングのようなキャラクターは全く生かす道がなかった。
彼女には、暗さや影が全くないからである。
メロドラマのヒロインになるには、影や暗さがないと駄目なのだからである。
その意味で、歌手に完全に転向し、『魅せられて』での大ヒットは、まさに正解だったと思う。
ゴージャスとか、セレブと言った形容が世に氾濫しているが、ジュディ・オングほどぴったりの女性はいないと思う。

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コメント

  1. なご壱 より:

    Unknown
    「グー・チョキ・パー」子供のころ毎週見ていました。ジュディの友達役で歌手デビュー前の今陽子が出ていました。

  2. アパッチ より:

    Unknown
    先日CSで放送された競輪上人行状記を観ましたが、大変良かったですよ。
    こんなに良い映画が悪評で西村監督は3年間も干されたのですか。

  3. さすらい日乗 より:

    反社会的とされたのでしょうね
    犬を食べるとか、兄嫁とできてしまうとか、あるいは知恵遅れの娘など、当時では不道徳とされたのでしょう。
    脚本が今村昌平というのも、会社が気に食わなかったのかもしれませんね。

    『競輪上人行状記』は、ラストが面白いですよね。
    確か、小沢昭一も一番好きな映画とどこかで言っていたような気がしますが。