約30年前の1982から1983年、横浜の山下公園や横浜公園などで、ホームレスを10代の少年たちが次々に襲い、殺害した事件があった。
その被害者須藤泰三の30回忌も記念して、劇団ひこばえが『街に陽が昇るとき』を上演した。
筋は、さまざまな理由から、学校から落ちこぼれていた少年、少女たちが、ある日、暴力的な集団に襲われ傷つく。
すると今度は少年たちは、自分たちより、さらに弱いものであるホームレスを「町のゴミをきれいにする」として公園で襲い、田舎から出てきて、妻の死後ホームレスになっていた須藤泰三を殺してしまう。
逮捕された少年たちは、当初自分たちの行為について疑問を持たない。
30年後、街中である少年と少女が出会う、というものである。
私は、劇団ひこばえ代表の村上芳信さんをはじめ関係者の善意を疑うものではないし、こういう「問題劇」を作ることは、平田オリザらの「超リアル演劇」をすることよりもはるかに意義のあることだと思っている。
だが、厳しいことを申し上げれば、ここには近松の「虚実皮膜の間」に倣えば、「虚」が存在しないので、「ああそういう事件がありましたね」で終わってしまうのである。
勝手なことを言わせて頂ければ、この事件に私は、あの「ライブドア事件」の被告の一人・宮内良治を重ねてみたい気がする。
宮内は、この少年たちとほぼ同世代で、同じ地域の横浜市南区で育った。
両親がいない極貧家庭で、生活保護を受けながら市立横浜商業高校を卒業し、税理士事務所に就職し、苦労して税理士資格を取得し、その後ホリエモンらと出会い、その結果、ライブドア事件の被告になった。
この宮内の眼から、犯人の少年たちを語らせたら、もっと別のドラマが見えてきたのではないかと思った。
あるいは、30年後の現在に、少年、少女が出会うというラストから考えれば、むしろこの30年間、彼らがどのように過ごして来たかをきちんと取材して劇化していたならば、もっと深みのあるドラマになったと思うのだが、それも無理なことだろうか。
神奈川県青少年センター 多目的ホール