『花籠の歌』

1937年、昭和12年の松竹映画、監督は五所平之助で、主演は田中絹代と佐野周二、それに笠智衆と河村黎吉、徳大寺伸らが出ている。

東京の神田あたりのトンカツ屋の看板娘田中絹代と大学生の佐野周二は恋仲で、二人が無事結ばれるまでの日常的な挿話の積重ねが快い。

いかにも松竹大船調であり、どうでも良いことの羅列に過ぎないといえば、そのとおりである。

だが、田中絹代と言えば、『愛染かつら』や溝口健二の戦後の名作での熱演から見ると、ここでの田中絹代は随分違う。

きわめて日常的で、明るくおきゃんな町娘という感じであり、多分この方が実際の田中絹代に近いように思える。

田中絹代と佐野周二が結ばれて、田中に惚れていた中国人のコック徳大寺伸が店をやめて故郷に帰ることの意味が少々気になるが。

店を佐野周二とやって行くことを改めて決意した時、河村黎吉は、「これからはとんかつではなく、すき焼きをやる。あと4年だ、見ていろよ」と言う。

この4年というのは、どういう意味だったのだろうか。

実際は4年後の昭和16年12月8日は、真珠湾攻撃になってしまうのだが。

いずれにしても、諸処にモダニズム的色彩が濃厚で、戦前の文化のピークは、昭和10年から15年くらいの頃にあったことがわかる。

田中絹代の妹で、レビュー団の踊子は高峰秀子、壁にはSKDのターキーの写真が貼られていたのも時代である。

併映は、同じく昭和12年、東宝と入江プロの初提携作品で、成瀬巳喜男監督、入江たか子主演の『女人哀愁』

家のため富豪の北沢彪と結婚した入江たか子が味わう結婚生活の不幸で、最後『人形の家』のノラではないが、女性に目覚めて家を出ていく入江。

双方の家の格差はともかくとして、ダンス、レコード、トランプ、麻雀など、どちらの生活にもモダニズムがふんだんに含まれている。

入江は、北沢の家で、まるで女中のように使われて、と言いたいところだが、そこにはきちんと女中がいる。

戦前から戦後に掛けて、家族構成がおおきいいえでは、多くの場合女中がいたもので、それは人件費が極めて安かったためであろう。

この映画の脚本は珍しや、劇作家の田中千禾夫であり、彼はこの頃東宝で数本の映画のシナリオを書いている。

同様に東宝には、三好十郎もいてシナリオを書いていたが、一番有名なのは山中貞雄脚本の『戦国群盗伝』の原作であろう。

この『戦国群盗伝』は、戦後の黒澤明の『七人の侍』へのヒントになる。

銀座シネパトス

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コメント

  1. ogata より:

    満洲汁とは何でしょう
     とんかつ屋さんの場所は、「神田あたり」ではなくて銀座ですね。だからこそ今銀座の映画特集でやってるわけですし。川本三郎氏の推測(「銀幕の銀座」)によれば、銀座二丁目のメルサの裏あたりではないかという話です。上映している銀座シネパトスのある、元「三十間掘」も冒頭に映ります。
     
     ところで、この店に貼ってあるメニューに「満州汁」とあります。これって何でしょうね。検索しても出てこないので、この店独自の名物料理なのかもしれませんが。

  2. さすらい日乗 より:

    ありがとうございます
    そうでした。
    新川あたりも出てきましたね。

    満州汁は気が付きませんでしたが、徳大寺伸の中国人コックにはどういう意味があるのでしょうか。

    五所平之助の弱い者の味方的な感情でしょうか。
    この五所の感情は、戦後の東宝ストの時、デモ隊の先頭に立つて撮影所を退却するという姿勢になります。
    彼や衣笠貞之助は、本来は共産党とは正反対の人間ですが、東宝の組合を強く支持したことは記憶されて良いことだと思います。

  3. なご壱 より:

    Unknown
    花籠の歌が撮影されたのは、1936年だと思います。
    河村が言っていたのは、幻となった1940年に開催予定だった東京オリンピックのことだと思います。

  4. さすらい日乗 より:

    ああそうか
    でも、東京オリンピックとすき焼きはどういう関係があるのでしょうか。
    1940年のオリンピックは、それなりに盛り上がっていたのですね。京浜第二国道も、五輪のマラソン用に作られたのですね。