今日、4月26日は、63年前の1954年、黒澤明監督の『七人の侍』が公開された日である。
だが、作品の最後に、勘兵衛の志村喬が言う台詞については、あまり考えられていないようだ。
「また、負け戦だったな、勝ったのは百姓たちだ、われわれではない」
これを単純に田植えをしている百姓のことと考えてはいけない。
まず、あの野武士たちとの村人の戦いは、戦国時代のことではなく、太平洋戦争のことである。村人の一人として撮影に参加した鎌倉在住の俳優の加藤茂雄さんは、
「みな戦争の体験者で、黒澤明のような指揮者がいたら、最終的には勝てないにしても、部分的には勝利を得ることもあっただろう」と話しながら撮影に臨んでいたと私に手紙を送ってくれた。
だから、最後の台詞は、本当は「勝った」のではなく、「戦ったのは」である。
つまり、太平洋戦争を戦ったのは百姓などの国民一人ひとりであり、黒澤明もそうだった、戦争の指導者たちではない、という意味だと私は考えている。
黒澤明は、よく知られているように徴兵も、徴用もされていず、非常におかしいのだが、これは戦時中の東宝が一種の軍需企業だった性である。
詳しくは、拙著『黒澤明の十字架』(現代企画室)をお読みいただきたい。