傑作と大愚作の一日だった。まずラピュタで東映東京の『一発かましたれ』を見るが、藤田まことを出せば面白いと思っているバカな作品。
製薬会社社員とヤクザの息子を演じるが、どこにも面白いところがない。バナナの皮で滑って倒れるギャグがあったのには唖然とした。
監督の小山幹夫は大バカ者である。
地下鉄を乗り継いで、フィルムセンターに行く。
堀内直真監督のパチンコ映画『ちんじゃらじゃら物語』で、主人公は日本一の釘師伴淳三郎の話で、戦時中のカンボジアで、山田太助の伴は、山田太郎の千秋実と同じ園芸部隊という、野菜を作って飢餓を凌ぐ部隊だった。
千秋は、オートバイ会社の名古屋支社長になっていて、秘書が黒柳徹子、冒頭のパチンコ屋の客が藤山寛美という具合いに正月映画らしくにぎやか。
山田太助と山田太郎と似た名前の取違の笑いもあるが、メインの筋は、伴淳が住んでいる名古屋駅裏のスラム地区の問題。
そこをクリアランスして儲けようとする須賀不二男らが、千秋をおだてて名古屋市長選挙に、駅裏再開発を公約させる。
ところが、カンボジアの女と間にできた息子の芦屋小雁が来るので、千秋は、息子を伴淳の子にしてもらう代わりに、再開発計画は止めると約す。
テレビでの政見放送で、千秋が再開発を再び言うので、
「約束が違う」と伴淳が激怒してテレビ局に来て、番組を滅茶苦茶にするドタバタもある。
これでもまだ終わらず、最後は鈴鹿サーキットで、芦屋小雁が、千秋の会社のバイクで全日本レースに優勝するエピソードでやっと終わる。
小雁は、カンボジアでオートレースの選手だったときちんと前に言ってあるのは、さすがだった。
ともかく、おせち料理のように、「これでもかっ」と劇が続く作品。
原作は、小野田勇で彼は、冒頭に出てくる、磁石を使うインチキなパチンコ師の三木のり平の座付き作家だったのだが、実に面白い作品だった。
こういう作品は当時まったく評価されなかったのだが、今見ると娯楽映画として水準以上だったと思う。
フィルムセンター
コメント
Unknown
『ちんじゃらじゃら物語』は面白かったが、名古屋が舞台なのに名古屋弁を使う人間が居ないのは減点。
まぁこの作品に限らず、この時代は名古屋弁を使う映画は少なかったようだが。
1962年の作品ですから
時代的に仕方ないのでは。
南利明の「ハヤシモあるでよー」で名古屋弁がヒットするのは、1970年代ですから。
これは松竹京都の晩期の作品の一つで、当時松竹京都のスターは、伴淳三郎と高田浩吉だけでした。
伴淳は、戦前のアキレタ・ボーイズの吉本興業からの引き抜きにも活躍したそうで、松竹にとっては「大恩人」だったのだそうです。