『痴呆性老人の世界』

羽田澄子という監督は、なんとなく偉そうで、しかも映画『痴呆性老人の世界』は、岩波ホールでヒットというので、見ていなかったが、これは非常に面白かった。

1986年に公開された作品は、九州あたりの認知症の高齢者たちが入院している国立病院で、何人かの認知症高齢者の姿に迫る。

1980年代に私は、区役所の福祉課長をやっていたので、ここで描かれる高齢者の姿は、当時私が聞いていた症状と同じだった。

娘に向かって、「どなた様でしょうか」と聞く、夜間に徘徊し騒ぐ、もちろん失禁などもあるが、本人はもう気づかない、などなど。

                                                              

自分の名前も、年齢も忘れてしまったある女性の姿は、見るものに、

「人間とは一体何なのか、人はどこから来て、どこに行くのか」という根本的な疑問を問いかけてくる。

そこにあるのは、人間の姿の不思議さである。

痴呆で、物事を忘れてしまうというのは、一般には、その事がすでに本人にとって重要な事項ではなくなっているからだとされている。

その女性は、自宅に戻った時、子供たちから夫の名前を聞かれるが、答えることができない。

私の母は、85歳の1月に胆のうガンが見つかり、老人病院に入院して半年後に死んだが、最後の2か月は痴呆状態になった。

その時、口にしたのは、自分の弟や妹のことであり、夫であった私たちの父親のことは一言も言わなかった。

死別してから、約30年もたっていたのだから、仕方ないともいえるが、夫婦というのはそうしたもので、「夫婦は他人」とは本当である。

人間というのは、「個として生まれて生き、最後は類として死ぬ」といわれるが、まさにその通りだった。

4年後、続編として製作された『安心して老いるために』は、岐阜県池田町の高齢者介護の状況を、デンマーク、オーストラリアと比較したものだが、前作に比べて衝撃は少なかった。

フィルムセンター小ホール

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