盗作騒動が解決し、残るは桑野の離婚問題。
当初、離婚に絶対応じなかった穂積も弁護士佐藤慶の説得と金に窮したことから、示談で済まそうとする。その交渉の中で穂積は佐藤を傷つけ逃走する。
中山千夏のお爺さんを探しに再び、北海道に行く二人。桑野はそこで穂積を見る。
穂積はタクシー運転手となっていて過去を反省し、離婚届けに判を押す。
晴れて桑野と園井は結婚し、鵠沼に幸福な家庭を持つが、桑野を病魔が襲う。
脳腫瘍である。
一度は手術で回復するが、2年後再発し、桑野は急死してしまう。
どこまで行ってもハッピーエンドにならないのがメロドラマの宿命だが、ここでも同じ。
そして、このドラマの本当の核心は、貧乏人の美人桑野と金持ちの嫌な奴穂積の結婚という階級差の悲劇である。また、同じ貧乏人の園井と桑野が好き同士でありながら、上手く結婚できない貧困故の悲劇でもある。
林芙美子同様、アナーキスト詩人だった菊田一夫には「階級的意識」が色濃くあった。
だが、次第にその意味は薄れて行く。それは、当時池田内閣の所得倍増計画下の経済の高度成長で急速に豊かになり、相対的に貧困や階級差がなくなっていったからである。
貧困、封建制、戦争等の愛への障害のないところでは、メロドラマは成立しにくいのである。
最後に残るのは、難病になる。
近年の『世界の中心で愛を叫ぶ』等がすべて「難病もの」であるのは偶然ではない。
川崎市民ミュージアム