たぶん、フランキー堺はテレビが生んだ最初のマルチ・タレントだったと思う。
ジャズ・ドラマーでバンド・リーダーだった彼は、新メディアだったテレビに進出し、自分の番組『我が輩ははなばな氏』を持ち、連続コメディーの主役になる。
これは、フランキー一家が毎回出るが、ゲストはいつも異なり、それに合わせて内容がまったく変わるというバラエティーのような番組だった。
渥美清が出た時が忘れられない。
結核による療養から復帰した時のことだったらしいが、渥美は30分間を猛熱演したのである。当時、押し売りが流行っていて、家に様々な押し売りが来るが、次から次へと渥美は追い払う。
だが、最後は「押し売り撃退法」と言う本を売りつけるという押し売りだったというのが落ちだった。
フランキーは映画にも出ていて、後には日本映画史上の名作とされる川島雄三監督の『幕末太陽伝』に主演する。
この1957年のフランキー映画の監督は菅井一郎で、原案はキノ・トール、ギャグ指導で永六輔、神吉拓郎とあり、「永六輔追悼1年」の放映である。
ナレーションは高橋圭三で、日本にも人工衛星が飛来していると言い、煙突掃除人のフランキーは、天文マニアだが、その前に科学者木下博士の菅井一郎のロケット実験がある。
彼は、夢の動力の「ピカイチ」を発明したとのことで、海岸で実験するが、もちろんチャチナロケットは、火を付けると、ポトリと砂の上に落ちて大失敗。
煙突掃除人も、サイレント時代から出てくる典型的な役で、夜望遠鏡を見ていて、人工衛星を発見し、その通り人工衛星が不時着して宇宙人が下りてくる。
これが、もちろんフランキーで、彼は1号、2号、3号も演じるので、一人4役。
夕日新聞の記者安部徹も、宇宙人を追っていて、木下博士の娘高友子とは恋仲である。
この宇宙人だが、ときどき人工衛星人に代わることがあり、どちらなのか迷う。
彼らは木下博士が発明した「ピカイチ」を狙っていて、それを巡る追っかけが中盤のドラマ。
ここから意外にも、宇宙人とフランキー、菅井らは「ピカイチ」を渡して、人工衛星に行く。
ここで、すべてが人工になっている世界が描かれるが、これは常識的で少しも面白くない。
最後は、彼らは地球に戻ってきて、宇宙人は宇宙の彼方に去ってゆく。
安部と高友子が結ばれることが暗示されるが、この高友子は、大蔵貢新東宝社長の息子大蔵満彦と結婚されているそうだ。
もう一人、大阪の劇場のダンサーとして藤城鮎子が出ているが、彼女は大映のスターだった滝瑛子の妹の一人だとのこと。
菅井のような名優にしては凡作だが、そうひどくはない。
衛星劇場
コメント
むかし、TVでフランキー堺氏の
「わたしは貝になりたい」を見たとき
絞首台への階段を上がりながら
「・・・・・・・・・貝になりたい」と心のつぶやきの場面を見たときは
子供ながら、勝者から敗者へに対する刑への理不尽さや
偉い兵隊さんでもなかったのに、気の毒。
というような印象が強かったです。
私は、フランキー氏のが一番よかったように思ってます。