元大映のキャメラマン宮川一夫の諸作品がデジタル修復され、ニューヨークで公開されたそうだ。
宮川が、大映の稲垣浩はもとより、黒澤明、溝口健二、小津安二郎、市川崑らの作品の撮影を担当し、名作を作り出したのは言うまでもない。溝口の『山椒太夫』の竹林に塗った墨、黒澤の『羅生門』での鏡の利用等は確かに凄い。それは、大映が日活京都以来、持っていた職人の技、工夫だと思う。
もちろん、宮川を知らない若い人に彼の素晴らしさを知ってもらう意味で、「絶賛」することに文句はない。
ただ、中には宮川一夫について厳しい言葉を残している人もいる。
篠田昌浩は、映画『はなれ瞽女おりん』で最初に宮川に会ったとき、「この人は当りは柔らかいが、凄く強い人で一筋縄ではいかない京都人だな」と思ったそうだ。
さらに、もっと宮川に厳しい批評をしているのが今井正である。1976年の『妖婆』の時で、これは元大映の社長永田雅一に頼まれ、
「脚本は水木洋子で、スタッフはもうできていて待っているから是非やってくれ」と言われた。水木のシナリオを読んで「ギョッと」したそうだが、仕方なく京都に行く。大映京都のスタッフに囲まれ、だ一人で、今井は大変に苦労したそうだ。その第一が宮川一夫で、「移動はやらず、自分の決めた画面でしか撮影しないので仕方なく、私はこの映画は投げているのです」と俳優の児玉清に語ったそうだ。
これは水木洋子のシナリオがどうしようもない「オカルト合戦」で、当時『エクソシスト』のヒットでオカルトは当たると企画されたものだが、もちろんヒットしなかった。
宮川一夫の側に立ってみれば、大映倒産後で、たぶん製作条件がひどかったので、今井正の要求に十分にこたえることができなかったのだと推測する。
もう一つ、宮川一夫が凄いところは、この番組でも一本だけ勝新太郎、池広一夫監督の『座頭市・千両首』が紹介されたが、『悪名』などの大映の多くの娯楽作品の撮影も担当していることである。
なかで私が最も愛好するのは、市川雷蔵主演、森一生監督の『ある殺し屋』と『ある殺し屋の鍵』で、名作『ある殺し屋』もデジタル修復されたそうで、ぜひ見てみたい。
NHKEテレ