先日の2月2日に、5月に上演するミュージカル『やし酒飲み』のために参加者のオーディションをやったと書いた。
そのときに、驚いたことの一つに、高校生たちが『赤とんぼ』をほとんど知らなかったことがあった。参加者の歌唱能力を知るのに『赤とんぼ』(三木露風作詞、山田耕作作曲)を歌ってもらったのだが、多くの者がそのメロディーを知らないようだった。
別に、「山田耕作の名曲を知らないのは嘆かわしい、日本の音楽教育はどうなっているのか」などとは全く思わない。
第一、山田耕作は、相当に過大に評価されてきた人で、近衛秀麿らに比べその業績は特別なものではないようだ。
ただ、言えるのは、『赤とんぼ』に象徴されるように、日本音楽の西洋化、あるいはクラシックの普及、悪く言えば通俗化には大変貢献した。
彼は、映画を始めテレビ、ラジオ、雑誌等に頻繁に登場し、クラシック音楽の普及と自己の名を売ることに大変努力した。戦時中の軍歌から、戦後の美空ひばりとの競演まである。
よく言えば「機を見るに敏な、悪く言えば調子の良い、時代の風潮に阿る人」だったのだろう。
小沢昭一さんによれば、「懐メロ歌手というのは生きていないと駄目で、死ぬとすぐに忘れられるもので、淡谷のり子が懐メロ歌手の代表のように言われたのは、長生きしたからだ」そうだ。
その意味では、クラシック・懐メロ作曲家の山田耕作も、生前はテレビ、ラジオ、映画に頻繁に出ていたので、皆『赤とんぼ』を知っていたが、死んだ後は出なくなったので、若者らは急速に知らなくなったのだろう。
オーディション翌日の2月3日、横浜をはじめ首都圏は、久しぶりの大雪だった。
降る雪や 明治は遠くなりにけり 中村草田男
であろうか。