福原義春さんのご講演はさすがだった

昨日の4月21日は、神奈川県図書館協会の総会が開催されたので、職務として紅葉坂の青少年センターに行く。
今年4月に図書館長になったH君もいて、
「紅葉坂は、高齢化時代の今日、集客施設は難しいね」との話になる。
坂の下のみなとみらいは、大にぎわいなのに対し、かつて神奈川の文化ゾーンだったこのエリアは、今や忘れられた「シャッター商店街」のようなエア・ポケット化している。
一時、岡崎県政の下で、音楽堂、図書館、青少年センターをすべて再開発し「大文化センター」を作る構想もあり、実際の絵も見たことがある。だが、県は金が全くないので、それぞれの施設の最小限の改良で終わり、じり貧である。

総会は、特にどうということもなく、すべて原案了承で終わる。
その後、各図書館の永年勤続職員表彰が行われた後、特別講演があった。

講師は、資生堂の名誉会長で、今は(財)文字・活字文化推進機構代表の福原義春氏。
東京都写真博物館館長もされており、書物は言うに及ばず、音楽、映画等々にご造詣が深いのは、さすが、昔の財界人は、低級なホリエモンとはレベルが違う。

中で、文化・芸術はすぐに直接的に社会経済に貢献するものではないが、中長期的には経済にも大きな寄与する例として、1930年代のアメリカのニューディール政策をあげられた。
よく知られているように、民主党下のニューディールでは、TVA等の公共投資が実施された。と同時に「フェデラル・ワン」で、失業している若手芸術家を州や国の広報事業に雇用された。
実際、劇作家のアーサー・ミラー、テネシー・ウィリアムズらが政府機関で働いたことは有名である。
さらに、1940年代になると、欧州のナチスから逃れた知識人が多数アメリカに亡命してきたが、彼らをアメリカ政府は積極的に援助した。
ブレヒト、シェーンベルグ、クルト・ワイルらがそうで、彼らは後にハリウッド映画に貢献することになる。その知識人の代表はアインシュタインで、彼は戦時中の原爆開発に多大な寄与をした。
こうした1930年代以降の文化・芸術政策が、戦後の1950年代のハリウッド映画やポピュラー音楽の世界的な席巻へと結びついた、と福原さんは言われた。

全くそのとおりで、こうした世界文化としてのアメリカの大衆文化は、戦後の世界を覆いつくした。
それは、日本では太陽族になり、フランスではヌーベル・バーク、ブラジルではボサ・ノバ、イギリスでは怒れる若者たちの芝居に、ポーランドではA・ワイダらの映画になる。

このように戦後、アメリカ文化が世界を席巻した理由は、その形成過程で欧州等々の多様な文化の流入がアメリカに流入したことが基盤になっていた。
その意味では、一方的にアメリカ文化が世界に普及したのではなく、アメリカにも多くの多様な文化が存在していたのだ。
そうしたダイナミックな活動の中で、新しい若者文化が生まれたのである。
さて、日本の輝ける太陽族の旗手だった石原慎太郎はどうして、かくもひどくなってしまったのだろうか。原因は唯一つ、「長期の権力は人を駄目にする」と言うことに尽きる。

福原氏が、最後に話された図書館の現状、ベストセラーを購入することへの疑問には、勿論異論があるが、それについてはまた別に書くことにする。

その後、30年ぶりに横浜に戻ってきた友人と野毛の椿で飲む。
ここは、野毛で一番美味いと思う。

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コメント

  1. 武井さん有難う
    武井さんから,福原さんの名前が違っているとのご指摘を受けたので、すぐに直しました。福原義信ではなく、福原義春でした。
    ご指摘ありがとうございました。
    今後もどうぞよろしく。