昨日の地震、職場の図書館にいた。
「これは・・」と思うと、すごい揺れだった。
ただ、平屋2階建ての建物なので、本棚から本や雑誌等が落下することはなく、他に損傷もなかった。
ただ、数分後停電してしまい、それは図書館だけではなく、交差点の信号すら消えていた。
4時前に、暗くなり停電であり、本を読むことも困難になったので、館長判断で臨時休館で、20人くらいいた方には説明してご退館頂き、やっと中央と連絡が取れたので、その旨報告する。
中央図書館では4、5階で本が多数散乱し大変危険なので、3時過ぎに休館したこと、アルバイトは帰し、その他職員は通常通りとの指示を受ける。
停電は直らず、非常用電源も事務室は次第に暗くなる。
職員は5時過ぎに家の遠い人から順次帰ってもらう。
この間、停電なので情報は電池のラジオからのみ。
定刻に図書館を出て、バス亭に行くと、多数の人が歩いてくる。
鎌倉から歩いて来たという人はさすがに疲れ、上大岡行きや桜木町行きのバスを手を上げて止めようとするが、超満員で停まってくれない。
3台過ごして、下り方向のバスを見るとガラガラ。
大船までに行き、そこで始発で乗ることにする。
大船駅周辺も停電で、真っ暗な中、続々と人々が歩いてくる。
桜木町、上大岡行きのバスには百人くらいの列。
なんとか座席を確保できる。
そこからなんと3時間半、お三の宮まで意外にも時間は短く感じられた。
子供らにメールをすると、長女は職場の同僚の実家が会社の近くだったので歩いて行って泊まり、次女は大学が校舎を生徒に開放したので泊まるとのこと。
JRが動いていないので、東京から横浜には徒歩以外帰りようがない。
吉野町の中華料理屋で食事して家に戻ると呆然。
本棚の上から2,3段目まで、さらに本棚の上に積んだ本と雑誌、CDが全部落下していた。
全体の半分くらい。
さらに冷蔵庫が開き、中の物が散乱し、上に置いてあった電子レンジが床に落ちている。
ともかく、落ちかかっているテレビを元に戻すため、本、CDの山を乗り越えなくてならない。
裸足では危険なので靴を履き本の山を踏んで近づく。
そのとき思い出した。
なくなった向田邦子のエッセイに戦時中の東京大空襲の夜のことがある。
3月11日の夜、異常な大空襲に、腹ごしらえを終えると向田の、日頃極めて厳しかった父親は、
「もう今日はいいぞ!」
と空襲から家を逃げるとき、土足で畳の上を歩き回ったそうだ。
そんなときは、物など問題ではない。
その際に最重要な行動を優先すべきなのだ。
本とCDが壊れているかもしれないが、何も全部だめになったわけではない。
その内、少しづつ元に戻すことにする。