昨年12月に亡くなった竹邑類の初めてで、そして最後の本である。
推測するに、もう自分は長くないと思い、これだけはと1960年代中頃の三島由紀夫とのことを書いたのだろう。
呵呵大将とは、もちろん三島由紀夫の有名なばか笑いからきている。
高知から東京の大学に出てきた竹邑少年は、新宿のジャズ喫茶(モダン・ジャズのレコードを聴かせる喫茶店)KIIYOで三島に出会う。
KIIYOは、有名な店で、私も大学の先輩に連れて行かれたことがあるが、その頃は普通のジャズ喫茶だった。
竹邑がこの本で書き、また怪しげな若者が集う店として有名だったのは、私が行った数年前のことで、彼に言わせれば「芋」が来るようになった後のことである。
それでも、さすがに新宿の喫茶店で、店にはいつもヤクザ風の男が屯していて、渋谷のジャズ喫茶とは違う雰囲気だった。
竹邑と三島の周辺には、ハイミナールをやっている少年・少女が集まり、また三島は、竹村に命じて彼らを集め、異様な集団を銀座の高級料理店に連れて行ったりする。
その頂点が、江ノ島近くの山中で行われたというVOODOOの秘儀で、ブードゥーとは、言うまでもなくカリブ海のハイチ等で信じられているアフリカ起源の宗教である。
VOODOOにいかれていたある男の提唱で、深夜江ノ島の対岸の山中で行われた秘儀では、鶏の首が切られ、血が飛び散り、それと音楽に若い男女は異常な興奮状態になったという。
そこには、もちろん三島由紀夫もやってきた。
こうした三島の竹邑類ら若者との交流は、いくつかの小説になっている。
その意味で、永井荷風が多くの女性との交情の中から小説を作り出したように、三島由紀夫も、実際の体験、見聞の中から作品を作り出したことがよくわかる貴重な証言にもなっている。
その後、東宝のミュージカル『ファンタステックス』のオーディションを受けたことから、竹邑は森繁久弥主演の『屋根の上のバイオリン弾き』のバイオリン弾きに抜擢される。
その後は,東宝や宝塚系の音楽劇の振付を多数担当すると共に、自分の集団ザ・スーパーカンパニーでも作品を演出するようになる。
そして、昨年12月にガンで亡くなる。
1960年代の中頃に、今では忘れられてしまった特異な若者文化があったことを記録した貴重な作品である。
この頃の連中の姿を描いた映画に、今は高倉健の座付き監督になってしまった降旗康男の『非行少女ヨーコ』があり、ここでは寺山修司が出ていて、なんと「こんな連中は朝起きてラジオ体操でもすればいいんだ」と宣うのである。