私は、戦後の日本映画の監督では今村昌平が一番だと思っている。大学に入ったとき、意外な人が今村昌平の映画を好きだと言って驚いたことがしばしばあった。
教育学部のフロント派の幹部にAという大阪の男がいて、彼も今村昌平が好きだと言い、実際に高田馬場日活で今村特集をやっていた時、中で会ったこともある。
さて、今村昌平は凄いのだが、彼のベストと思われる『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』、さらに『神々の深き欲望』の脚本を書いたのは、長谷部慶次さんなのである。
彼の履歴は以下のとおりである。
- 監督
- 1953.07.28 明日はどっちだ エイトプロ
- 1954.01.09 第二の接吻 滝村プロ
2 脚本
-
- 1945._._ 娘道成寺 東宝教育映画
- 1954.11.22 億万長者 青年俳優クラブ
- 1955.08.31 こころ 日活
- 1956.06.08 或る夜ふたたび 歌舞伎座
- 1956.06.28 処刑の部屋 大映東京
- 1956.10.01 夏の嵐 日活
- 1957.02.27 黄色いからす 歌舞伎座
- 1958.06.10 四季の愛欲 日活
- 1958.06.24 欲 松竹京都
- 1958.08.19 炎上 大映京都
- 1958.12.07 蟻の街のマリア 歌舞伎座
- 1959.05.27 代診日記 大映東京
- 1959.06.23 鍵 大映東京
- 1959.11.29 大願成就 松竹大船
- 1960.06.11 白い牙 松竹京都
- 1963.11.16 にっぽん昆虫記 日活
- 1964.06.28 赤い殺意 日活
- 1968.11.22 神々の深き欲望 今村プロ
- 1972.05.25 忍ぶ川 俳優座=東宝
- 1977.11.19 はなれ瞽女おりん 表現社
監督というのがあるが、これは独立プロの作品で、今は見ることはできない。
彼は山形の女郎屋の主人の妾の子だそうで、幼いことから女性の世界、それも最下層の女性の世界を見てきたのだそうだ。
そして、どういう経緯か知らないが戦前に東宝に入り、録音部にいた。黒澤明の『虎の尾を踏む男たち』の録音は彼である。そして、東宝での大ストライキの後、彼は五所平之助を中心にできた、スタジオ・エイトプロダクションにいて、各社でシナリオを書く。
このスタジオ・エイトの代表は、井関種雄氏であり、彼は後に日本ATGを作る。
この辺は、日本の独立プロというと、組合の委員長だった伊藤武郎氏の新星映画が有名だが、五所監督のプロダクションも、新東宝や歌舞伎座などの松竹の周辺で多くの映画を作っている。
さて、今村昌平作品における長谷部慶次氏だが、言うまでもなく、東北や南島などの下層の人間を描くのにあたって、東北出身の長谷部氏の知見は大きな貢献をしたはずである。
因みに、東北と南島は日本の基層であり、縄文時代の日本はそうだったのだが、そこに大陸から新たに弥生文化が入ってきて、縄文文化は北と南に押しやられたのである。
長谷部氏は、晩年は今村昌平が作った今は日本映画大学となった横浜放送映画専門学院で、シナリオの講座を持ち、多くの脚本家を育てたそうである。
詳しくは、故武重邦夫氏のブログ「愚行の旅」
http://www.cinemanest.com/imamura/glabo2/gukou_78.htmlを見ていただきたいと思う。