ここにも東日本貿易博覧会が 『踊る竜宮城』

美空ひばりが、最初に自分の歌『河童ブギウギ』を歌った映画として松竹の『踊る竜宮城』があり、DVDで出ているので、ネットで買う。

ひばりが出ているのは、河童姿で歌うショーの場面の30秒くらいと、森の中を浦島太郎らが逃げる時に少し見えるだけである。

要は、その他大勢の一人に過ぎなかったのである。

昭和23年の4月の時点では、その程度の子供歌手だった。

監督は佐々木康で、奈良光枝、大坂志郎の他、小月冴子、川路龍子らのSKDの連中が出ているレビュー映画で、中身はひどい。

だが、ここでも昭和23年4月から6月にかけて、横浜市で開催された「東日本貿易博覧会」の反町会場で撮影された映像が出てきた。

やはり、野外のステージでライブが行われているもので、映画『ラッキー百万円娘』のラストシーンと同じである。

こちらで気がついたのは、ステージの下に水が張ってあることで、客席との間の掘割のようになっていた。

『ラッキー百万円娘』では、歌手のアップが多く、ステージ下まで見えなかったのだが。

当時、日本には松竹、東宝、大映の3社の映画会社があり、その内の松竹と大映(製作は東横映画で、後の東映である)の2社で、このイベントが作品の背景として使用されていたことになる。

一方、東宝はこの時は、例の東宝ストの山場で、4月8日には会社が2,700人の大量の首切りを発表し、組合は当然拒否して5月からは砧撮影所に篭城するという時期だったので、撮影どころではなかったのだ。

テレビもない当時(会場ではテレビの高柳式テレビの実験放送も行われたそうで、まだ始まっていない)、当時最大のマスコミだった映画で大きく取り上げられる程のものだったことがよくわかった。

おそらくニュース映画でも取り上げられていたと思うが、それはまた調べてみたい。

因みに、この反町会場の博覧会のパビリオンの一部は残され横浜市役所として、昭和33年に現在の関内の市庁舎ができて移転するまで使われた。

また、現在の横浜市役所の近くの高級日本蕎麦屋として有名な利久庵がある。

この店は、実は反町にあったのだが、市役所の移転と共に、関内に引っ越してきたのだそうだ。

今、横浜市役所は、狭隘化から移転が計画されており、移転場所は桜木町駅近くの北中通りだと言われている。

もし、そこに市役所が移転した時は、今関内駅周辺にある飲食店等も移転するのだろうか。

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