『16才の戦争』続き

松本俊夫の映画は観念的であるが、半分は脚本の山田正弘の性のように思える。この山田という人は、元は詩人で映画の脚本を書くようになり、当時吉田喜重の映画の脚本も書いていたが、それらも観念的であったからだ。

『16才の戦争』は、若者・下田逸郎がある町(豊川市)に来て、少女・秋吉と知り合い、彼女の家に行く。大邸宅で、父・佐々木考丸と母・嵯峨美千子、それに頭のおかしい叔父・ケーシー高峰がいる。秋吉は自殺未遂を繰り返す多感な少女。
戦時中、豊川には海軍工廠があり、大空襲で嵯峨の友人は死に、ケーシーもそのために頭がおかしくなった。最後に、その友人の子供が下田だと分かるというものである。

別に面白い筋ではない。少し偉そうに言えば、各世代の戦争体験や考え方が重なり合わされて、その意味が問われる、ということになるのだろうが。
アラン・レネの『24時間の情事』『去年マリエンバードで』やアンリ・コルピの『かくも長き不在』等が思い出されるが、そうした新しい内面的な戦争映画を作ろうとしたもののだろう。
勿論、うまくいっていない。失敗作であり、秋吉久美子の最初の主演映画としてのみ映画史に残るだろう。

秋吉久美子の最初の映画出演は『旅の重さ』の、ラストに出てきて自殺してしまう少女である。

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