私もビデオを持っていた 「横田永之助のトーキーフィルム」

日本映画学会の二人目の方は、生駒市の映像ディレクターの長谷憲一郎さんで、日活社長の横田永之助が、現像所開所の時のフィルムを発見したものだった

長谷さんは、横田の孫の方から収蔵していたフィルム缶を見せてもらい、相当に傷んだものだったが、修復することに成功した。

それは、当時の極東フィルム研究所の開所式のもので、横田の挨拶の他、現像システム等を紹介するもので、非常に貴重な映像だった。

だがその時、私はこのフィルムのビデオ版を持っていることを思い出した。それはイマジカの『技術に生きる』という約40分のVHSで、元東洋現像所にいた人からもらったものだった。

1980年代末、私はパシフィコ横浜にいて、社のPRビデオを作った。制作の 委託先は、後に倒産する横浜の広告代理店帝国社で、そこに東洋現像所から移籍されていた方がいた。

残念ながら、その方のお名前を思い出せないが、大変に愉快で熱心な方で、以前は京都の東洋現像所にいて大映の担当をやっていて、市川雷蔵らとも交友のあったのだそうだ。その方が、私が映画が好きだと知ると、そのビデオをくれたのである。

日曜日の夜、家に戻り確認すると、間違いなく、その時のシーンから始まり、最後は筑波での科学万博等でコンピューター映像等を作ったイマジカのPR映画なので、早速DVDに変換して長谷さんに送った。

おそらく、東洋現像所をイマジカに社名を変えた時に作った創立50周年のビデオだが、長谷さんのお話だとイマジカにはないとのことだった。

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