期待せずに見たが、面白かった。『仁義なき戦い』を別として、深作の中では最上の部類の作品だろう。
その理由は、彼がここに出てくる、与謝野寛(緒形拳)、有島武郎(松田優作)、大杉栄(風間杜夫)と伊藤野枝(石田えり)、さらに松井須磨子(松坂慶子)、波多野秋子(池上公美子)らの自由に生き、最後は破滅してゆく人間たちに愛着を持っているからだろう。
その他、波多野秋子の夫の成田三樹男が最高に面白い。島村抱月がスペイン風邪で急死し、松井を慰める宴会に現れて、人間ではなく人形を愛することを弁じるが、これが最高。
そして松坂慶子の一人芝居になる。
すべてを見つめているのは吉永小百合の与謝野晶子で、彼女は有島武郎に惹かれていくが、これは原作者の創作のようだ。
しかし、与謝野寛、有島武郎らは、ほとんど異常な人間で、この時代は許されたのだろうかと思う。
与謝野晶子の孫与謝野文子が、クラスは違うが、高校の同じ学年にいて、結構可愛い子だった。
慶応義塾大学の文学部を受験に行ったとき、彼女を見たが、私と同じく落ちたようだ。父親の与謝野秀氏は、エジプト大使から、急遽1964年の東京オリンピックの事務局長になって帰国したので、彼女は国語はほとんどできないという評判だったのだから仕方のないことだったろう。
兄の与謝野馨氏も、数学が良くできなくて東大受験に現役では失敗したが、英語の数学の教科書を買って読んで理解して翌年には合格したそうだ。
一つだけ文句を言えば、『復活』を歌う松坂慶子の唱法が結構上手いことである。今ではネットでも聞けるので、ぜひ聞いてほしいが、松井須磨子の歌は、音痴の極致である。だが、逆にそれが新鮮で大ヒットしたのだと私は思う。
当時、日本では歌を歌う女性は、芸者や歌舞音曲をする玄人だけで、言わば素人の須磨子が歌ったことが非常に新鮮だったのだと私は思うのだ。
今のAKB48の祖先だと言えるだろう。
国立フィルムアーカイブ