先週の日曜日は、仕事で出だったので、午後から代休を取り、横浜市中央図書館に行き、地下の視聴覚コーナーで、1959年大映制作、島耕二監督の『細雪』を見る。
四姉妹は、長女轟夕起子、次女京マチ子、三女山本富士子、四女叶順子である。
物語は、原作に忠実だが、時代が1950年代末の同時代にされていて、子供はフラ・フープで遊び、レコードからはジャズが流れている。
山本富士子の見合いは、船越英二と菅原謙二で、どちらとも結ばれない。
叶は、奥旗の啓ぼんの川崎敬三と別れ、写真屋の根上淳と一緒になるが、中耳炎で死んでしまい、最後はバーテンの北原義郎と結婚する。
山本富士子は、最後まで結婚せず、叶の幸福を祝福して終わる、なんとも中途半端なエンドなのだ。
これは、時代設定を戦後にしたためで、原作の三女雪子が様々な連中との見合いの末、華族の末裔と幸福に結ばれるという結末はできないのだ。
1950年に新東宝が、阿部豊監督で作った作品も、主人公は四女の高峰秀子で、写真屋の田崎潤と一緒になるところで終わりである。
つまり、華族一族と結ばれることが最上の幸福という結末は、戦後の民主主義社会のイデオロギーとは相容れないのである。
その意味で、市川崑が、時代設定を完全に戦前に戻して作ったのは正解だったのだ。
谷崎の名作も、戦前という時代的制約があったわけだ。