『綾の鼓』

新国立劇場で三島由紀夫の「近代能楽集」、『綾の鼓』を見る。
大学1年のとき、学生劇団の新人勉強会で、2年生が演出してやったのを見たことがあるが、中身はよく分からなかった。
話が、70歳の老人が絶世の美女の貴婦人(実は元女スリで、腹には刺青があるという女なのだが)に一目惚れし恋文を贈るという大人の劇。
しかも、新派的な通俗的劇を大学生がやること自体が無謀なのだが。

老人は、法律事務所に働く小使いの爺さんと言う設定自体が時代である。
「外食券食堂」などという言葉も出てきて、これは随分昔の劇なのだなと改めて思う。昭和20年代の設定である。
話は、老人の恋をからかう若者らによって、彼の元に綾で作った鼓を届け、「これを響かせれば、思いを遂げさせる」と手紙を付ける。
勿論、鼓は響かず、絶望した老人は投身自殺する。

そして、老人の霊と貴婦人が夢の中で対話する。
この辺は、まさに能の真骨頂である。
そこで鼓を打つと音が出る。
だが、貴婦人には聞こえない。
100回打った老人は諦めて去る。
そのとき、貴婦人は言う。
「あと1回打てばきこえたのに」と。
要は男と女のすれ違いだろうが、この鼓を打って「きこえる」「きこえない」と言うのは、性的快感のことだろうか。
三島にそうしたポルノ的意識はあったのだろうか。

貴婦人の十朱幸代が美しい。
背が高く、豪華な衣装に相応しい貴婦人らしい輝きがある。
老人の綿引勝彦は、老人というには元気すぎる気がする。
三島の頭にあったのは、多分宮口精二、三津田健などの枯れた老人だったと思う。

この50年間で、高齢化は進んだが、同時に老人も元気になったということだろう。
第一、70歳の老人が若い女性に恋をするのは、不遜でお笑いごと、というのがこの劇での若者らの考えだが、現在では70で恋しても、何も問題はない時代になっている。
そのところは、劇の出発点は変わってしまってたのだ。
演出は、前田司郎という若い方だが、きわめて真っ当なもので、大変感心した。

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