フィルムセンターの田中絹代特集で、『非常線の女』を見る。共演は、岡譲二、三井弘治(秀夫)、水久保澄子など。
1933年、昭和8年のサイレント映画だが、全編がアメリカ的モダニズムなのには、とても驚く。
戦後の小津作品にもモダニズムの片鱗はあるが、ここでは完全に小津はアメリカ的な文化、文明に心酔している。
まず、話が田中絹代が昼は商事会社のタイピスト、だが夜は町の不良(与太者)のボス岡譲二の情婦という設定が、完全にアメリカのギャング映画である。
冒頭のアスファルトを歩く人間の大俯瞰から、タイプライターの横移動へと画面も自由に動き、ローポジションでカメラが動かない戦後の小津とは全く違う。
画面のすっきりした構図、田中や岡のファッション、タバコの吸い方、帽子の投げ方、アパートの壁にはってある英字のポスター、ビール瓶、洋酒、缶詰等々、すべて当時の最先端のアメリカ的ファッションである。
この辺は、加藤道夫の傑作戯曲『思い出を売る男』に出てくる、加藤道夫や芥川比呂志らにとってのフランスへの憧れと同じだろう。
そのアメリカやフランスを相手に日本が戦争を始めたとき、小津や加藤らは一体どう思っただろうか。
水久保の弟の怠け大学生三井は、岡譲二に憧れ、ボクシングを習っているのだからすごい。
最後、三井と水久保の危機を救うため、岡と田中はピストル強盗をするが、逃亡中に捕まり、改心し、いずれまともに暮らすことを暗示して終わる。
また、中で3回横浜の情景が出てきた。
田中が水久保と話すところは、横浜の山手地域と山手教会であり、三井が屯しているビリヤード場の窓外に見えるのは、横浜港である。
そして、最後に岡と田中の二人が警官に逮捕されるのは、外人墓地の鉄柵の前である。
この山手の映像は、戦前に作られたタップ、音楽映画『舗道の囁き』でも出てきたが、米軍の空襲がなかったので、戦前と同じなのだ。
撮影助手の一番下に木下正吉の名前がある。言うまでもなく木下恵介である。
この小津作品のモダンな映像性は、木下に受け継がれたのだと改めて知った。
澤登翠の活弁の他、ギターとフルート。
サイレント映画は、活弁付じゃないと意味がないので、この企画はとても良い。