この度、岡田則夫さんが『蒐集奇談』を出されたことを記念して、荻窪のベルベット・サンで、ぐらもくらぶの保利透さんとのSP勝負、要は二人が持っている珍らしいSP盤を持ち出して、
「どうだ」という珍盤比らべであるが、これが大変面白かった。
午前中は雨でしかも非常に寒いので、
「これじゃ行けないな」と行かない理由ができたと思ったが、昼過ぎからは晴れてしまったので、荻窪まで行く。
荻窪は、横浜からは結構遠いんです、帰りはいつも終電で、この日も地下鉄の湘南台行きの終電だった。
さて、岡田さんは、まず津軽じょんがらの大家・原田英次郎から、普通の民謡盤ではなく、台詞や掛け合い漫才も入った巡業一座風のもの。
対する保利さんは、昭和初期のカフェーの女給の話の、「女給心得帳」
今、テレビのワイドショー等に、三流タレントが出て、つまらないことをさも新しいことのように自慢げに話しているが、こういう趣向は戦前からあったわけだ。
その他、岡田さんで面白かったのは、ナショナル(パナソニック)が夏時間、サマータイムが実施された時に便乗した商品である、「サンマータイム電球」の広告レコード、
北区王子周辺が一時期、犯罪が増加して危険な町になった時のキャンペーン・ソング「刃物いらない町」
今では日中戦争の発端の盧溝橋事件や通州事件のニュースレコード「日支事変ニュース」など。
保利さんでは、昭和29年の東映映画杉狂児・清水金一コンビの『弥次喜多シリーズ』の、春日千恵子の「くるくるパーじゃないかしら」
村岡花子さん朗読の「フランダースの犬」は、最後がハッピーエンドにはびっくり。
戦時中の東京都が作った広報レコードの「ゴミと戦争」のナレーションはなんと中村伸郎、中村がこんな仕事をしていたとは知らなかった。
ともかくあらためて驚くのは、岡田さんのでは、日本のハワイアンの草分けの一人、芝小路豊和の学習院小学部卒業の際の記念レコード、
保利さんのNHKでの合唱の放送の録音盤で、アルマイトレコードの「冬景色」など、当時極めて高額だったと思うが、自主制作、委託制作レコードが多くあったこと。
実は、私の父が昭和35年に小学校校長で急逝した時、学校関係者が、テープに残っていた朝礼の挨拶をレコードにしてくれた。
軟盤というやつで、17センチ、33回転で普通のLPレコード・プレーヤーで再生するものだった。
「余り掛けると摩滅してしまいますよ」
と言われ、何回も掛けて聴いたが、特に聞こえなくなることはなく、今でも実家にあると思う。
私も独身時代は、少しSPレコードも集めたことがあるが、その範囲の広さに、「これは収集し始めたら泥沼だな」と思い諦めた。
どのようにするかはまだ決めていないが、何か目的を見つけて岡田則夫さんのように全国を歩いてみたいと思った一夜だった。