1955年、東宝の添え物の時代喜劇を作っていた宝塚映画作品。原作は秋田実、脚本は倉谷勇、監督は大都映画以来、最後は東京映画で『駅前シリーズ』を量産した佐伯幸三。
夢路いとし・喜美こいしの弥次喜多が東海道中をして遠州あたりに来る。そこで、まずゴマのハエに財布を盗られたという女に会い、旅籠に連れて行って、風呂に行っている間に二人は財布を盗まれる。
女のゴマのハエだったのだが、梅香ふみ子で、森雅之の愛人で、彼女との間の娘が中島葵で、確かによく似ている。
一文無しになった弥次喜多は、旅籠で働くことになるが、女主人が都蝶々で、養子の番頭が南都雄二。
そこに領主のご落胤の娘を連れたご一行が来る。ご落胤の娘は、ミス・ワカサで、元は木こりの娘であるが、お墨付きと刀で、殿様のご落胤と言う触れ込み。
実は、本物は殺されている偽物だが、ワカサ本人は知らず、恋人の島ひろしのことばかり思っている。
ひろしが追いかけて来て、二人に同情した弥次喜多と蝶々雄二が、二人を助けて村に届けようとして、悪漢一味と最後はドタバタの追いかけになるが、ほとんど笑えるギャグがない。
唯一のギャグは、大八車にワカサを乗せて、いとし・こいし、蝶々雄二がむやみやたらに走らせ、農家の昼餉を通過して、皆がうどんを被り、うどんを食べている子供も大八車に乗っているというのだけ。
しかし、この愚作にも、高貴な場で窮屈に生きるよりも、好きな相手と楽しく生きる、という感覚は、まさしく戦後の平和憲法意識である。
さすがに戦前は日本共産党員で、東大新人会会員だった秋田実らしいセンスと言うべきだろう。
皆芝居が上手いのには驚くが、実演でやっていたからだろうと思う。今の芸なし芸人やタレントとは大きな違いである。
衛星劇場