最大のスターは永田雅一だった 『スタアのいた季節』 中島賢(講談社) 

元大映宣伝部にいた中島賢さんの『スタアのいた季節』(講談社)を読む。

市川雷蔵、勝新太郎、そして若尾文子ら戦後のスターの裏話から、叶順子、若松和子、仁木多鶴子、渚まゆみら、結構多彩にいた女優に至るまで、話は非常に興味深い。特に初めて聞いたのは、若尾文子が菅原謙二と付き合っていたが、菅原が突然名家の令嬢と結婚してしまったこと。確かに菅原も若尾もまじめだったので、相性は良かったと思う。

そうした男に手ひどく裏切られたことが、後に彼女の増村保造映画での体当りの演技を生んだとすれば、人間何が幸運になるかわからないものである。

                 

だが、読んでみて大映の一番のスターは、社長の永田雅一だと思った。

「永田ラッパ」と呼ばれ、政治、野球、競馬と本業以外にも精出していると評判の悪かった永田だが、この人は大変に優秀な映画プロデューサーだったと思う。

永田なしでは、黒澤明の『羅生門』も、溝口健二の『雨月物語』『山椒太夫』もなかったのだから。

彼の言葉で、黒澤明の『羅生門』の試写会で、「なんかわからんけど高級な写真だな」と言ったことが、彼の無智の証明のように言われる。

だが、『羅生門』のテーマは、黒澤も言っているように「人間と、その所業はわからない」ということであり、永田は映画の趣旨をきちんとつかんでいたのである。

だが、プロ野球でも「監督が一番有名なチームは駄目」と言われるように、社長が一番のスターでは問題だったわけだ。

市川雷蔵、山本富士子、田宮二郎と3人のスターを失い、長谷川一夫はすでに映画スターではなくなっていたのだから、倒産したのも当然と言えば当然だが。

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