1990年代の中頃、テレビのBSの映画の予告編特集で、大島渚は次のように言ったことがある。
「日本映画は、庶民を被害者としてしか描いてこなかった。戦争、貧乏、封建制からの被害者、確かに戦後も昭和30年代もそうした面はあった。
だが、それはすでに日本の社会の反映したものではなくなっていた」
この戦争、貧乏、封建制の悲劇の典型のような作品が、木下恵介が1961年に高峰秀子、佐田啓二主演のこの作品である。
映画は、阿蘇の村に、大地主で村長も努めたことのある永田靖の息子仲代達矢が、中国から負傷して村に凱旋してくる。
昭和7年なので、満州事変での戦争だろうが、右足を負傷し、今では放送禁止用語の「びっこ」になっている。
この映画は、地上波ではほとんど放映されないのは、この「びっこ」故のことだろう。
家には、使用人加藤嘉がいて、彼の娘の高峰秀子は、同じ小作人野々村潔の息子佐田啓二と愛し合っていたが、彼は徴兵されて不在だった。
仲代達矢は、父親の永田に似て、強欲な男で、無理やり高峰をものにしてしまう。
除隊した佐田啓二と高峰は、一度は駆け落ちしようとするが、佐田は約束の朝、場所に来ず、仲代と結婚した方が幸福だと、大阪に行ってしまう。
これでもかというほど永田と仲代の悪辣さが描かれ、佐田が妻の乙羽信子と共に帰郷したとき、乙羽を家で女中として使い、乙羽にも手をつける。
この時、高峰は言う
「ケダモノ」
だが、高峰は、仲代との間に3人の子供を作っているのだから、「昼間は聖女、夜は娼婦」ということなのだろうか。
戦後、永田は倒れて半身不随の中で死に、長男の田村正和は、家の代々の悪行を知って自殺してしまう。
いろいろあるが、昭和35年には仲代の娘藤由紀子と佐田の息子石浜朗が好き合って出奔する。
また、高峰の次男は、安保全学連で逮捕状が出ていて、密かに村に来て、高峰に会う。
翌年、石浜と藤は、赤ん坊を連れて村に帰って来るが、そこで佐田啓二は死ぬ。
昭和の初めから、憎みあって来た仲代達矢と高峰秀子夫妻は、孫を前にして初めて互を理解し合う。
こんなことってあるのだろうかと思い、高峰は劇中で、「この家の財産など私はいらない」と言っているが、離婚せずに家にいたのは、財産故と思える。
戦後、農地解放があり、また社会の激変があったはずだが、少しも仲代達矢の大邸宅が変化しないのは変だが、山林があったからだと言う。
高峰の次男は、伊丹十三に似たルックスの男で誰かと思ったが、戸塚雅哉という役者らしい。
今から見れば信じがたいが、この年のキネマ旬報ベストテンでは、1位羽仁進監督『不良少年』、2位黒澤明の『用心棒』に次、堂々と第3位である。
因みに、私が好きな渋谷実の『もず』は、11位、増村保造の『妻は告白する』に至っては17位で、この頃のベストテンは、歴史の検証に耐えられない。
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