なぜ、リメイク作品を見るのか

『伊豆の踊子』をはじめ、数多くのリメイク作品が日本映画にはある。
『細雪』、『青い山脈』、『若い人』、『潮騒』など。

リメイクはくだらないという意見もあるが、私はリメイク作品を見て比較することは、大変有意義だと思っている。
何故なら、何度も制作されることは、時代を越えた普遍的な優れたところがあるからに違いない。
だが、それと以上に、リメイク作品は、その時代、社会、民衆の心情、そして時代の価値観を必ず反映してしまうからである。
例えば、谷崎潤一郎の小説『細雪』は戦後3回制作されているが、それぞれの時代を反映していて、とても興味深い。
興味のある方は、新東宝作品(監督阿部豊)、大映作品(監督島耕二)、さらに東宝(監督市川崑)の3作品を見比べてみれば、とても大きな違いがあることに気づくだろう。

最初に作られた昭和25年の阿部豊監督作品では、主人公は驚くことに四女妙子の高峰秀子である。
駆け落ち問題を起こしても、自分で選んだ相手と生きていく妙子が、戦後の新しい時代の女性として肯定されている。
シナリオは、八住利雄で、八住は次の大映版の脚本も書いている。

昭和34年の大映作品の特徴は、まず、轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子、根上淳、船越英二、菅原謙二らの、豪華な配役である。四女の妙子も若尾文子だったが、病気で叶に代わったそうだ。
また、小説で大きな意味を持っている、キャサリン台風の阪神の大洪水も、特撮できちんと再現している。
その意味では、原作を忠実に映画化しようとしている。
だが、ここでも、時代は同時代の昭和34年にされたため(冒頭、フラフープで遊ぶ女の子が出てくる)、結末が付けられない。
今年、めでたくご成婚50年目を迎えた天皇陛下と、庶民出の正田美智子さんが、ご結婚された、まさに昭和34年である。
だから、山本富士子は「華族の末裔」と一緒になるわけには行かず、結末は曖昧に終わってしまう。なんとも幸福感のない映画なのだ。

それらに対し最後の、昭和58年の市川崑作品では、大胆にも設定を戦前に戻している。
そして、筋書きは原作どおり、三女雪子の吉永小百合の見合い話に終始する。
また、この昭和末に向かう時期は、「財テク」等、日本全体に金満的な、きわめて保守的な価値観が横溢していた時代である。
特に、テレビ、雑誌等では「お嬢様」がもてはやされた時だった。たけしの「元気が出るテレビ」で、犬のお嬢様を特集していたのを憶えている。
そこでは、「上流階級と結ばれて幸福になる」という理念は十分に肯定されうる時代だった。
その意味で、とても時代に合った作品だった。
また、この映画は、谷崎の原作にはない、石坂浩二が演じた次女佐久間良子の旦那貞之介の、四女雪子への「隠された愛」を挿入することで、きわめてエロティシズムの濃い作品となっている点も優れている。

このように、リメイク作品というのは、作者たちの意図とは必ずしも合わなくても、どこかで必ず時代の価値観を反映してしまうものなのである。
そこが、リメイク映画を見る面白さである。

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