自分たちの砦はあったのか 『ぼくらの7日間戦争』

1988年に作られた、宮沢りえ初出演作を見る。
首都圏の中学生11人が、学校の規則の厳しさ等に反発して、町の外れにある大きな廃施設に立てこもり、大人たちと対決する。
60年代後半に起こった全共闘運動を想起させるが、それよりも子供たちがよく作りたがる「秘密基地」の方に近い。
全共闘運動にも、そうした面はあったのかもしれないが。
勿論、最後は大人社会の実力行使で敗北する。
そんなものは、ユートピアであり、現実にはありえないからである。

だが、今日からこの映画を見るとき、別の面が見えてくる。
時は、1988年、まさにバブル時代である。
この年の1月5日、六本木のディスコでライトが落ちて人が死んだ。
このとき私は、パシフィコ横浜の営業部にいて、新年の挨拶周りが終わったときで、すぐ近くで飲んでいた。
帰りに出ると、大騒ぎで驚いた。
この年は、全国各地で地方博覧会が行われ、日本中の都市が総テキヤ化していた。
翌年1989年の12月には、日経平均は史上最高を付け、誰もが日本経済の発展を疑わなかったのである。

すなわち、この映画で描かれた、自分たちの砦、基地を持つことは、経済社会の無限にも見える発展と拡大の中で可能のように見えた。
だが、それは結局不可能なことに過ぎなかったのである。
多分、自分たちの砦を持つことに成功したのは、その後、ホリエモンや村上のように、「金に換算しておけば砦はいつでも作れるのだ」と諦めて金儲けに精出した者だけだろう。
だが、それが本当の砦ではないことは、彼らが犯罪者になってしまったことによって明らかである。

今や日本を代表する大女優になった宮沢りえだが、まだ少女で、ここでは期待に反してあまり活躍せず、見せ場もないのは、監督菅原比呂志の手腕の低さである。
ロケーションに使われた国有財産となっている大きな建物は、実際に館山にあったボーリング場の跡とのことで、これも時代である。
日本映画専門チャンネル

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