『日本無責任時代』

見るのは、多分3回目だが、やはり圧倒的に面白い。
植木等のアクションが最高である。
先日、戸井十月が書いた『植木等伝』を読んだ。
巷間言われているように、植木等は、本当に真面目な人で、無責任とは正反対の男だった。
だが、その彼が現すアクション、両手を挙げて「おーッ」と叫ぶのや、片足を挙げてステップして歩むのなど、それは無限の解放感と楽しさがある。
その痛快さは、アメリカのミュージカルで、アステアやジーン・ケリーのダンスが、引力に逆らってまるで飛び出てしまうのではないかと思うような痛快さに似たものがある。

話は、多くのところで語られているので繰り返さないが、この植木等主演、クレージー・キャッツ出演の作品は、団令子、中島そのみ、重山規子主演の『お姉ちゃんシリーズ』の世界を借りていて、この時期まではクレージーよりも、まだお姉ちゃんトリオの方が有名だったわけだ。
監督の古澤憲吾は、逸話の多い人物だが、渡辺邦男の弟子なので、映画の作り方はきわめてきちんとしていて、観客サービスをよく心得ている。
クレージーや芸者が歌と踊りを披露するシーンがあるが、本当は狭いお座敷でやっているのに、そこは東宝の大ステージを一杯に使って撮影している。
こういう場面は、観客、特に地方のお客さんにエンターテイメントを届ける箇所なので、全くの嘘だが、それで良いのである。

最後、太平洋酒をクビになった植木等が、由利徹に代わって北海商事の社長になり、峰健二と藤山陽子が、結婚の披露をするのは、今はない磯子の横浜プリンス・ホテルである。
野外の庭園の下は、根岸湾の海がまだあり、丁度埋め立て工事が始まった時だった。
横浜プリンス・ホテルの場所は、元は結核になり転地療養になった東伏見宮の別邸で、それを戦後西武が買収し、ゴルフ場を附設していた。
その頃のことは、渋谷実監督で、先日亡くなった淡島千景が主演した『てんやわんや』で、戦災孤児の収容施設として使用されていた。
1960年代初めに、ホテルが建てられ、庭園が整備された。
プールもあり、それについては、神代辰巳監督の『青春の蹉跌』の冒頭のシーンで、萩原健一が、ローラー・スケートを履いて掃除をしていた。
1989年に、ホテル棟が建て替えられ、その年の横浜博覧会では多数の宿泊客が来て、さらに横浜ベイブリッジができ、本牧側に下りると、その先にあるホテルは、ここしかなかったので、大繁盛した。
だが、みなとみらいなど、横浜のホテルの整備が進んだので、客が減り、最後は中学の修学旅行生まで泊めていた。

現在では、かつての東伏見邸を除き、全部壊され、大型マンションが整備中である。
世の変遷は実に激しいものである。
日本映画専門チャンネル

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コメント

  1. umigame より:

    『日本無責任時代』
    私は封切り当時、横須賀の東宝劇場で観ました。小学五年生の時です。併映された「キングコング対ゴジラ」が目当てだったからです。
    この二作の取り合わせはいかにも当時の高度成長期を象徴していますね。こういう映画は今はもう生まれてこないでしょう。おそらくは今後も。

  2. OZEKI より:

    クレージー映画
    私はクレージーは父に連れられて何本か映画館で見ました。当時は東京のどこの街にも東宝の封切り館があって、我が家から歩いて行ける目黒権ノ助坂の映画館か父が働いてた銀座にほど近い日比谷、有楽町界隈の映画館で見た記憶があります。「日本無責任時代」の頃はまだクレージー映画を見て分かる歳ではなく、後追いでTVで見たように思います。私が好きだったのは「大冒険」と「クレージーの怪盗ジバコ」。ジバコは原作が北杜夫だったような。植木等が本当にかっこいい大人で憧れました。最近はどれもレンタルで見れる時代になり、当時の映画に登場する風景や撮影場所に思いを巡らせるのが本当に楽しいです。