1960年代以降の日本の演劇をリードしてきたのは唐十郎と蜷川幸雄で、年は蜷川の方が5歳上だが、非常に共通したところがある。
その第一は、二人とも意外なことに、新劇から出てきたことで、蜷川は劇団青年俳優座、唐は青年芸術劇場の出身である。どちらも青年が頭に付いているのがおかしいが、要は若い集団だという印だった。
青俳は、岡田英治、木村功が二枚看板だったが、指導的演出家がいなくて、その都度外部から演出家が来た。蜷川によればひどいのもいたそうで、それを見て彼は「俺にもやれる」と思ったようだ。
蜷川は役者だったので、映画、テレビによく出ていて、映画では、篠田正浩監督の『暗殺』では丹波哲郎の清河八郎の子分を演じているし、吉田喜重監督の『樹氷のよろめき』でも主要な役を演じているが、川島雄三監督の『夜の肌』でも左翼学生役を演じている。
テレにもよく出ていて、和田勉演出、田村孟脚本の『サヨナラ三角』では主役だったし、『七人の刑事』でも犯人役を演じていた(映画館の映写技師だった)し、私の二番目の姉によれば、『ダイヤル110番』でも犯人役の常連だったとのこと。
唐も、若松プロのピンク映画の常連だったが、そのずっと前、子供時代に北原三枝主演、中平康監督の『夏の嵐』で、北原が勤める児童養護施設の知的障害児として出ているのには驚いた。父が日活で美術をやっていた関係だろう、キューピッドという児童劇団にいて、他にも教育映画に出ているらしい。要は、二人とも映画や演劇の現場に若い時からいたことで、それは二人の作劇術に影響している。
1984年にNHKが放映した『訪問インタビュー』の唐十郎へのインタビューでは、唐は
「俺は虫で、蜷川さんは鳥。蜷川さんは上から鳥瞰的に描くが、俺は虫の位置で下から、聴覚や嗅覚で描く」と言っていたが、これは至言である。
蜷川の劇は、すべてを絵にするもので、だから非常に分かりやすい。
唐は、じっと下にいて、最後で上に出ていくのだそうで、できるだけ下にいてためておいて、最後出る、というものだそうだ。
蜷川が、高卒後芸大を絵画で受験して落ちたように、彼の芝居は基本的に絵画的である。
唐は、意外にも非常に文学的で、シュールレアリズムに能を足したような構成の特異な劇だと私は思う。
この能は、彼がいた青芸の演出家が、能の家元の観世栄夫だったことから来ていると思う。
この辺はいずれ詳しく解明したいと思っている。