音楽がなければ最高だが、『剣岳 点の記』

昔、ダサい映画の象徴である『砂の器』は、「野村芳太郎の映画と言うより芥川也寸志の新曲発表会でなければ、もっと感動できたのに」と言った人がいた。
私も、あの芥川也寸志の曲はいくらなんでも泣きすぎだと思う。
でも、つぼは外れていない。

だが、木村大作監督の『剣岳』の音楽はひどい。
全体に多すぎて、うるさすぎるし、
「ここは」と思い感情移入しようと思うと、余りに陳腐なクラシックの名曲が流れて白けてしまう。
全部の音楽を切っても映画は充分成立しているはずだ。
それをなぜ、木村大作監督は名曲を延々と流すのか。
理由は、多分一つだろう。
木村がクラシック曲を知らないからだろう。
日本を代表する撮影監督とあろうものが、自分の映像を信じられないのだろうか、これまた実に信じられないことである。

昔、松竹の監督だった大庭秀雄は言った。
「木下恵介君は才能はあるが、教養がない。私は教養はあるが、才能がない」
これは、大庭秀雄が木下の映像感覚は、自分などよりはるかに凄いが、その音楽がいつも小学校唱歌で、陳腐と言ったものだが、この木村大作の映画の音楽の使い方も実に陳腐である。それは、日本映画史上に残る陳腐さである。

木村大作も、小泉尭史も、晩年の黒澤明に師事したので、晩年の黒澤明の悪いところだけを受け継いでいる。
悪人がいないことと音楽がひどいことである。
『八月の狂詩曲』のオルガンの「野ばら」など、まるで明治時代のセンスである。

この映画の本当の悪人は陸軍のはずだが、悪人にはなっていない。

本当に、音楽が付いていないDVDを是非発売してもらいたい。
それならば、2倍は感動できるはずだ。

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