1967年のシリーズ4作目で、初めて監督が佐伯清以外になり、マキノ雅弘が監督した記念すべき作品。
佐伯は、伊丹万作の唯一の弟子で、中川信夫と同様に京都の弱小プロダクションを渡り歩いた後、東宝で監督になった人。
この人も抒情的な表現がよく、『昭和残侠伝』シリーズも持つ、どこか物悲しい感じは、佐伯清の抒情性である。
マキノにも抒情的なところは勿論あるが、それは相当に能天気なもので、佐伯のような物悲しさはない。そのために、上手く泣けないのがマキノ映画の欠点だと思うが、要はマキノは大人なのである。
昭和初期の浅草、とび職の頭の家が加藤嘉で、彼の急死後に、その跡を継ぐのが高倉健。恋人は藤純子だが、芸者の牧紀子も高倉健に惚れている。
上野公園で博覧会が行われ、それは加藤の組の地盤だったが、ヤクザの河津清三郎、天津敏らが「自由競争」を言い立てて、無理やり参入してくる。勿論、東京市の役人の金子信夫とグルになって。
ただ、この昭和初期に東京では博覧会は行われていないので、この話は本当はおかしいのだが、映画なので良いだろう。
昭和5年の関東大震災からの「帝都復興祭」は、花電車が出て、日比谷公園で芸能大会も行われたが、博覧会は行われていず、それは大正3年に大正博覧会が実施されたのとは違うのである。
昭和では、1940年に東京五輪と同時に万国博覧会も実施する予定だったのだが、日中戦争の悪化で中止になってしまう。
さて、映画に戻れば、我慢劇の末に、河津から破門された風間重吉の池部良と共に、花田秀次郎の高倉健は、河津の事務所に殴り込み、河津、天津敏らを殺し、警察に引かれていく。
意外にもあまり様式的ではなく、殴り込みシーンの季節も夏の祭りであり、雪は降らない。
様式性は、東映京都の独壇場であり、東京は到底追いつけないものだったのだからだろう。
牧紀子のほか、高倉の組の一員として、小林勝彦が出ていて、本来大映の彼が出ていたのは、そろそろ5社協定の縛りも緩んでいたことの証にちがいない。
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